監修の辞

 科学における原理・原則は普遍であり、不動のものです。しかし、研究・開発の進展にともない,解明の精度が高くなるとともに,解釈の幅は広がってきます。現在,ハイテク,またファインケミカルスなどと呼ばれる「近代科学技術」は、高度に解明された諸現象の原理・原則や,微細組織に及ぶ材料の基礎的諸物性などが統合されたものといえます。そして、これらに裏付けられ,新規で貴重な技術の発展がもたらされたものと考えられます。
 このたび,[電子とイオンの機能化学]と冠題して,電気化学の理論と技術について,とくに近年注目されている対象をとりあげ、個々に工学的特異性をもつことから、各々独立した分冊として、複数巻の発刊を企画したのも,上述の理念に基づくものです。
 すなわち,電気化学は「化学反応と電気エネルギーの関連を取り扱う科学」と定義され,基本的には物理化学の一部門と見なされてきました。しかして昨今,科学技術の高度の発展の中で,電気化学の理論的研究も進展して,平衡論的にも動力学的にも精細に解明・整備されました。一方,電子工学やエネルギー科学,精密化学などの発展が,電気化学的反応や操作の特異性を認めて,高純度,高精度を求める工業技術に応用されるにいたったのが現状といえます。
 ことにマテリアルサイエンスの分野では, 「材料の製造,精製,加工」から「機能の測定,評価」にいたる,多くの工程での重要な操作・反応として電気化学が応用されています。
 本来,すべての物質の機能や特性は,分子レベルにおける内部電子,外部電子や軌道電子などと密接な関係にあります。他方,電気化学は「Electro-chemistry」の原語が示すように,化学反応と電子(electron)の挙動との関係に注目する学問,と近年理解されるにいたって,材料の機能を取り扱うマテリアルサイエンスの分野における電気化学が,いかに重要かは論じるまでもないことでしょう。
 しかしながら,工業技術としての立場では,電気化学も一般的な単位反応,単位操作と同程度に取り扱われて,電気化学の特徴,すなわち,電気化学反応では,
  1)電極電位によって反応の種類が制御され,
  2)反応速度は流れる電流の大きさで制御される。
という優れた解析性,管理性に注目されず,きわだった評価もされていない傾向にあり,応用の面で電気化学的反応や操作を数理的に考察,研究するまでにいたらず,性能,効率の向上を推進するための意欲や努力を阻害する恐れもあります。
 これは要するに,物理化学として基礎理論は高度に発達し,数理的解析も可能となっている学理的な部門と,実学としての工業技術とが機能的に融合していないためでありましょう。
 そこで本企画では,応用電気化学の現場を実例としてとりあげ,そこで実施されている電気化学的操作,反応を理論的に解説し,さらに高度で適切な電気化学的操作,反応の導入が考えられる場合はこれも示唆して,技術的改善の参考にも資していただくことを期待しています。
 なお,現代の工業技術は工程の全般を通じて,技術の総合的構成によって成り立っていることを理解していただくべく,製造や加工,組立などの全工程を具体的に記述して,工業技術者が学ぶべき広範な知識と技術の概略も述べています。
 「電子とイオンの機能化学」の出版計画は叢書の形式をとり,各巻では現在注目されている課題の一つをとりあげてその巻の主題とし,その課題の工業技術において適用される電気化学的操作や反応の理論を解説し,理論の適用,展開による機能材料の開発,材料機能の活用,評価などを実業に即して記述する,というのが基本的編集方針です。
 叢書としてとりあげる課題は、当面エネルギー変換技術に関連して注目されている下記の4巻を決定しました。
 第1巻 いま注目されているニッケル−水素二次電池のすべて
 第2巻 大容量電気二重層キャパシタの最前線
 第3巻 次世代型リチウム二次電池
 第4巻 固体高分子形燃料電池のすべて
 本企画では11名よりなる企画委員会にて,第1巻から以後の各巻の課題を決定し,さらに各巻の編集代表者(1名〜複数名)を選定,委嘱し,編集代表者によりその巻の編集委員会を編成していただき,各巻の企画,編集を一任しています。
 なお,本企画ではいずれの巻も応用電気化学の研究者,ならびに技術者を対象にしての技術書として編集していますが,電気化学を選考しようと考えておられる学生の方々にも,よき参考書となるものと考えています。
大阪大学名誉教授  田村英雄


 エネルギー・環境問題の抜本的解決策として、さらには将来の水素エネルギー時代のエネルギー変換システムの中心として、燃料電池の実用化に大きな期待が寄せられている。特に、固体高分子形燃料電池(PEFC)は電気自動車用の高性能でクリーンな駆動電源や携帯機器用電源ばかりでなく、電気と熱を同時利用(コジェネレーション)する家庭据置用途に向けて活発に開発が進められている。
 米国GE社製 PEFCが搭載された地球周回有人宇宙船ジェミニ5号が打ち上げられたのは1965年8月である。長い停滞期の後、1990年頃から民生用途の研究開発が急加速された。エネルギー・環境問題への世界的な意識の高まりが、PEFC開発の重要なサポーターとなっている。わが国の研究者・技術者がPEFC開発に熱心に取り組み、その一つの成果として、世界に先駆けて2002年12月に燃料電池自動車が政府にリース販売されたことは、まことに喜ばしいことである。ごく身近な応用として、ノートパソコンや携帯電話用の小型メタノール直接形燃料電池も注目されてきた。このように、PEFCは発電出力が数ワットから100 kWにも及ぶような広いレンジへの応用が期待されている。これらはマスメディアにも頻繁に登場するようになり、「燃料電池ブーム到来」とさえ言われている。たしかに、PEFCの研究開発速度には目を見張るものがある。しかし、燃料電池のキーワードである「クリーンで高効率」を本当の意味で実現して広く普及するには、まだまだ多くの課題がある。その多くは「電子とイオン」をいかにうまく機能させるかという点に関係している。
 本書は、「電子とイオンの機能化学シリーズ」の第4巻として企画した。シリーズを通した特徴として、材料開発の科学に視点をおき、構成材料、応用分野,今後期待される技術動向などの高度な内容をわかりやすく表現することを意図した。まず、固体高分子形燃料電池の構成材料(電解質膜、電極、セパレータ、燃料処理器など)と燃料電池応用の現状を記述した。そして、PEFC材料に関する重要課題に対する最新の研究開発動向や次世代型PEFCへの展望も解説した。これらは、研究開発の最前線で活躍中の研究者、技術者の方々に執筆していただいた。各々の分野で最適任の執筆者の貴重な原稿から、時には辛口の、時には熱い思いが伝わってくると思う。燃料電池に興味のある方々はもとより、最近になって燃料電池の研究開発に携わることになられた方々に、本書が少しでもお役に立てば幸いである。
 ご多忙の中、本書のために貴重な時間を割いていただいた執筆者の方々に深く感謝している。最後に本書の企画編集、出版に際して、絶えず励ましとお世話をいただいた、(株)エヌ・ティー・エスの松風まさみ氏と富澤匡子氏に厚くお礼申し上げる。
2003年5月   編著者: 内田 裕之
池田 宏之助
岩倉 千秋
高須 芳雄
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