本事典は、国内最大の睡眠研究者の学術団体である一般社団法人日本睡眠学会が総力を挙げて編纂した国内初の本格的な「睡眠学」に関する事典です。睡眠学は、私たちが日々経験している睡眠と覚醒という生体に欠かすことのできない生理現象のメカニズムを探求し、その心理・社会・生物学的な意義の解明を通じて私たちの健康と社会の発展に貢献することを目的とした学問です。睡眠は、健康的で活力ある日常生活を送るためにきわめて重要な生活習慣と位置づけられています。なぜなら、本事典でも詳しく解説されているように睡眠は休養や疲労回復だけでなく、認知、記憶、感情、代謝、循環、免疫など多くの生体機能の調節に深く関与しており、私たちの健康はもちろんのこと、社会的コミュニケーションや創造性、労働生産性など人間の社会活動全般の礎になっているからです。そのため、2002(平成14)年、日本学術会議が新たな学際研究領域として睡眠学の創設を提言し、その研究推進を促しました。提言の中で睡眠学は、睡眠・覚醒現象の調節メカニズムやその分子生理学的基盤の解明など基礎的研究を行う「睡眠科学」、睡眠不足によるヒューマンエラーや交通・産業事故、教育・学習への影響、交代勤務や夜型生活など社会生活における睡眠問題を扱う「睡眠社会学」、不眠症や過眠症、睡眠時無呼吸症候群などさまざまな睡眠障害の診断・治療や健康との関わりを研究する「睡眠医学」の3つの柱からなる多分野横断的な取り組みが必要な研究領域と定義されています。本事典もそれに倣い、「第T部 睡眠科学」「第U部 睡眠社会学」「第V部 睡眠医学」の部を設けました。また、若手研究者や医療関係者のために睡眠研究の方法論を解説した「第W部 研究技法と測定法」の部を追加しました。
本事典では全体で266項目のテーマを取り上げ、最新のトピックスも含めて睡眠学のほぼすべての領域を網羅しています。睡眠研究者はもちろんのこと、学部生、大学院生、医療従事者のほか、睡眠学に関心をお持ちの一般の方々まで、幅広い読者層の知的探究心を満たすことができる一冊になったと編者、執筆者一同、自負しています。日本睡眠学会から推挙された各分野の専門家で編集委員会を構成し、4000名を超える会員の中から該当分野に精通した総勢212名の睡眠研究者を選び執筆を依頼しました。研究や診療の最前線にいる執筆陣により最新の知見やエビデンスがふんだんに盛り込まれています。本事典は中項目主義を採用しており、学問の知見を細切れに示すのではなく、節見出しレベルの項目立てをし、睡眠学における重要項目を読者に提示しています。そのため、「睡眠科学」「睡眠社会学」「睡眠医学」の3本柱を軸に、各章の中項目タイトルを眺めていただくだけで現在の睡眠学でどのような事項に重点がおかれ、いかなる研究が進められてきたかを俯瞰できます。また、各項目の分量が2頁もしくは4頁と手頃な分量なので、専門書を読むよりハードルが低く、簡潔で具体的に解説しているため初学者にも読みやすい仕上がりになっています。
本事典を発刊した背景について触れます。現在日本のみならず世界中で「睡眠」に対する関心が高まっています。実際、睡眠不足、睡眠負債、不眠、眠気などのキーワードをテレビやインターネット、書籍、雑誌で見かけない日はありません。睡眠改善を謳う食品、サプリメント、寝具、スマートフォンアプリ、睡眠測定用ウェアラブルデバイス、睡眠向上のためのコンサルティングサービスなども多数登場しています。また、働き方改革や健康経営、自殺対策、厚生労働省が推進する健康日本21での疾患一次予防など、行政や産業界が進める数々の取り組みでも睡眠と休養が大きなテーマの一つになっています。一方で、睡眠への関心の高まりやサービスの普及とともに、科学的エビデンスに乏しい情報や商品も氾濫するようになり、ユーザー保護の観点から問題視されています。このような時期に、睡眠学に関する最新の知見、エビデンスを集大成した本事典を発刊することができたのは実に時宜を得ていると感じています。本事典を通じて睡眠学に関心を持つ研究者や生活者が増え、啓発が進み、睡眠学の更なる発展につながれば、編者一同望外の喜びです。(後略)
2024年3月15日(2024年の世界睡眠の日に)
一般社団法人日本睡眠学会 理事/睡眠学の百科事典編集委員長 三島 和夫