刊行にあたって

 本書の著者の一人であるRichard S. Stein マサチューセッツ州立大学名誉教授は、高分子物理学で著名な米国の科学者であり、国際的な受賞も多い。博士は訳者にとっては同学の先輩である。博士とは直接知りあう以前からの因縁もあり、この時から数えて50年来の知り合いになる。プラスチック、セルロース、DNAなどに代表される高分子物質はエネルギーの出入りを伴って、さまざまに形態を変える。これらの物質の研究には、熱力学というエネルギーの学問に精通している必要がある。共著者のJoseph Powers博士とは面識はないが、Stein教授の教え子の一人である。本書の主題の一つである核エネルギーとの関わりで、同氏が大学院入学以前、1953-1955年の間、アメリカ陸軍化学部隊員として、核爆弾計画の中で、同定、除染、観測を担当して、許容量を超す放射線被爆を浴びた経験をもっていることを挙げておきたい。本書に籠めたPowers博士の熱意が随所に感じられるのは故なしとしない。
 時あたかも人類は、地球上でエネルギー問題、食糧、水、その他資源の枯渇問題に直面しつつある。物とエネルギーは切っても切れない縁で結ばれている。物質が姿、形、場所を変える時必ずエネルギーの出入りがあり、エネルギーの流れに沿って物が変化する。熱力学をよく知る者にとって、世界のエネルギー問題、資源問題は強い関心を呼び覚まされるテーマである。
 昨今、社会問題の多くが、自然科学で確認された基本事項に関わっている。今や多くの人が、言語、教養とならんで、ある程度の科学的素養をもっていることが人間社会の条件となる時代が来つつあると予感させる。エネルギーはよい例である。我々は、自然の法則に従って生起する自然現象の中から使いやすいエネルギーを取り出しているのであり、自然でないエネルギーなど存在しない。省エネルギー議論の多くは、正確には“節エネルギー、省エントロピー”でなければならない。一般の人にはこのようなことを正しく知る権利があり、科学者にはこれらを正しく伝える義務があるのだが、最大の障害は「概念」を伝える「言葉」の不足である。Stein博士は、科学教育にも熱心で、地球環境化で生起する自然現象を支配する熱力学の大法則を、解り易く、しかも論理性を損なうことなく、一般人のために文章化する努力をされている。二人で共通のプロジェクトも進行中である。
 今春、先生から出版されたばかりの書物The Energy Problemが届いた。本書の目的は、社会に正しいエネルギー知識を普及することにあり、エネルギー技法の賢い選択のために、エネルギーの生産、使用に関する科学・技術的な側面をよく理解して進めることが必要であるという指摘が随所にみられる。第三章では熱力学の根幹である第一、第二法則の原理が説明され、続く第四章の省エネルギー、第五章から第十一章のエネルギー各論では、科学的な原則を念頭にそれぞれに検討が加えられている。使用済みエネルギー(エントロピー)の負の役割が繰り返し強調され、さまざまなエネルギー源の得失を論じる中で、全体としてエネルギー・サイクルの重要性に気づかされるように書かれている。エネルギーの原理に国境はなく、利用可能なエネルギー資源の種類も同じである。一読して、アメリカの例は日本のこれからのエネルギー選択にも極めて有用な示唆に満ちているように思われた。
 著者からは、冊子と共に、『本の主題はアメリカのエネルギー問題であるが、日本の人にも是非参考にしてもらいたい。日本語訳の出版についてどう思うか』とあった。この意向を受けて、NTS出版社の吉田隆社長とさまざまな意見交換の後、日本語訳出版に意義があるという結論に達した。
 原著の出版は、東北沖大地震(2011年3月11日)に続く福島原発事故の直前であった。それまで原子力利用容認に傾きつつあった世界のエネルギー政策に、福島以後、ドイツ、イタリーと脱原発の動きが強まった。本書は科学的な視点でエネルギーを取り扱っているのが特徴であり、政治的な状況の変化で影響を受けることはあまりない。福島以降の情況に関する著者らの意見は、日本語版への序文と十一章核エネルギーの最後に収録するに留めた。
 翻訳書の出版のために尽力された株式会社エヌ・ティー・エスのスタッフの方々に厚く感謝する。原著は200頁足らずの白黒版であるが、読者の理解を助けるため日本語版では、価格を抑えながら、図のカラー化、索引の充実、補足資料の追加などの配慮を加えた。我々は、努力の結果が、日本の読者にとって有用であることを願っている。

 2011年11月 安部明廣
 
知っておきたい熱力学の法則と賢いエネルギー選択 
〜アメリカの科学者が提案するエネルギー危機克服法〜
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