監訳にあたって

 21世紀は融合の時代であろう。最近のヒューマノイドの出現に示されるように高度に発展した科学技術は,人類の永年の夢であった真の意味での機械と人間の触れ合いを,真面目に考えなくてはならないレベルにまで達している。ある意味でヒューマノイドの実現はロボット工学研究者の夢の実現であるが,これは工学領域に含まれる人体機械構成論の世界の中の大きなイベントである。
 しかし,工学領域を超えた存在であるべき生身の人間を対象とする医療福祉学の分野では,もはやヒューマノイドの実現方法と同一のアプローチは不適切となる。そこでは,工学と医学の融合が必然とされるであろうことは容易に想像される。このような観点からこれまで各々の専門分野においては,技術的にも実用的にも高い達成度が実現されてはいるが,2つの専門分野に跨るような境界領域においては未だ十分な融合がなされているとは言いがたい。その原因のひとつは,専門家同士の共通言語の欠如問題であろう。共通言語の獲得のためには互いの専門用語や概念をその根本原理から再認識,理解を深める作業が必須である。
 ここで本書でその対象とする力学と言う共通言語を考えてみよう。
 工学に於いての力学は,計測するにしても制御においても,基準という概念に支配されそのモデル化可能なデカルト的世界である。一方,生身の人体は,柔らかいことが最大の特徴であり,基準というような概念が入り込みにくい非デカルト的世界の代表である。このような相反する世界が人体に関する学問と,工学的な意味での力や運動に関する学問を遠ざけてしまってきた。ここに両者を融合可能な新しいタイプの研究者の育成を肝要とする所以がある。特に高齢化社会に突入しつつある我が国では新しい機械が生身の人間をサポートするような期待要求に応えるべく,今この2つの学問を融合すべき時期にあることは言をまたない。
 「バイオメカニクス〜生体力学の原理と応用〜」と題された本書は,zkaya博士とNordin博士により,工学と医学という2つの分野が結びついてくれることを願って執筆されたものであり,人体の力学的側面について深く学ぼうとする新しいタイプの研究者たらんと欲するものにとっては最良の書といえる。多くの添付図を含む人体の機構に関する数学的な論述および説明は,丁寧で精緻であり,材料力学的視点からの解説は,有用なものとなろう。
 本書は医学,数学,材料学,力学,機構学など広範な分野をカバーする貴重な内容を含み,その翻訳に当たっては,著者らの熱意を反映させるためにもできるだけ原典を尊重するように表現を探すよう心がけた。また,各章には多くの例題や練習問題が添付されており,大学の講義での利用や学生,さらには企業,研究機関等の若い研究者諸君が参考書として独学で読み進められるように配慮されていることも付言したい。
2001年6月  北海道大学大学院工学研究科 嘉数 侑昇
第二版の出版に向けて

 バイオメカニクスは,整形外科,リウマチ治療,理学療法士,作業療法士,スポーツトレーナーなどさまざまな分野の専門家や研究者が習得すべき内容を網羅している。これら医学とその関連専門分野では,通常,数学や物理学の教育時間が少なくなりがちである。バイオメカニクスは,数学を多用することなく,力学の概念を習得することを目指して編纂された。
 一方,多くの工学の分野ではバイオメカニクスは非常に重要な役割を演ずることとなる。人間工学や生体工学,バイオメカニクス工学,福祉工学,その他の開発型研究の分野の専門家には,バイオメカニクスの知識が必須である。それにもかかわらず,工学の古典的な教科書にはバイオメカニクスの生物学的な側面が欠けていた。本書では,厳密な数学的記述によるアプローチを通して習得することとなる。
 この“Fundamentals of Biomechanics”はDr.Nihat zkayaとDr.Margareta Nordinにょり執筆されており,その生物学的側面が厳密な数学的視点に立って論述されている。本書は医学および工学関係者など,人体の力学的側面についてより深く学ぼうとする専門家や,人体へ適用する工学機器類等の開発や利用に携わる専門家にとって,使いやすくなることを目的としてきた。
 本書は,Hospital for Joint Diseases Orthopaedic Institute(関節症整形外科病院)での臨床対応における経験と,ニューヨーク大学のバイオメカニクスおよび人間工学の教育プログラムを融合し編纂された。著者は,臨床対応のバイオメカニクス教育においてユニークな経験の持ち主であり,幅広い経歴の持ち主である。また本書は,長年にわたる講義,リハビリテーション治療,そして,研究と実務経験を反映したものである。
Victor H.Frankel,M.D., Ph.D., K.N.0
President
Hospital for Joint Diseases Orthopaedic Institute
New York University School of Medicine
初版本に向けて

 生体工学は,比較的新しい学問分野であり,生理学や薬学などの問題解決や理解などへの応用によく用いられており,従来の工学の実用的な理論や方法論の発展形として認識されている。バイオメカニクスは,とくに整形外科の分野において生体工学の重要な要素となっている。バイオメカニクスは古典力学の応用として位置づけられており,生物学的問題に向けて,静力学,動力学,剛体の力学,流体力学などが含まれている。
 近年の理論的または実用的な進歩には目覚ましいものがあり,生物学の専門家や医師などと工学者や物理学者との協力体制が強化されつつある。このような関係には,学術用語や専門用語などの語彙の共通化が不可欠である。工学者は解剖学や生理学の用語を学ぶ必要があり,医療関係者は物理学や数学の基礎概念を学ぶ必要があろう。しかしながら,たいていの専門書はその分野の学術用語を用いて記述されているために,語彙の共通化は困難で面倒な共同作業となりがちである。
 本書はその点で有効であり,まず,バイオメカニクスに不可欠な応用力学の概念の解説を導入部としている。この基礎概念を理解することは,本書で取り扱う,よりもっと高いレベルの先進の理論を理解することに大いに役に立つであろう。工学者にとっては,力学の基礎を再学習するようなこととなるが,バイオメカニクスというこれまでと異なる視点で,力学の世界を冒険することとなるであろう。
 個人のレベルにおいては,本書を通して,生体工学の実用レベルの成功事例に触れることは有益であろう。Dr.Nihat zkayaは,私がコロンビア大学の工学と応用科学の教授をしていたときの博士課程の学生であったので,彼の仕事の正確さや厳格さについては保証する。これまでの生体工学に関する書物や論文は,工学者のための生体工学であったり,または,生物学者のための生物学として執筆されてきたが,これからはその姿勢そのものを変革していかねばならない段階にある。しかし,ここでは,生物学者や医療関係者に対して,力学の基礎を解説するにあたり,工学の専門家によって本物の努力が成されており,この問答の医学関係の内容の正確さについては,副著者であるDr.Margareta Nordinによって高められている。
 最後に,本書の出版を通して,今の学生に出会えることはとても幸せなことである。教育に熱中できるように努力することは,やりがいのあることと思われる。また,われわれ全体が有用な道筋の上に立っているという確信がある。
Richard Skalak,Ph.D.,M.D.(Hon.)
Professor of Bioengineering
University of California,San Diego
緒言

“Fundamentals of Biomechanics”の第一版の出版から7年,著者はこの本を使いながら,学生やその他の教授からの意見や提言をもとに内容の見直しを図ってきた。改訂版では,内容の実質的な見直しとバイオメカニクスに関連する具体的な事例数の増強がなされ,練習問題が追加されている。
 Dr.zkayaは教育に専念し,彼の学生に対する献身的な姿勢がこの改訂版に大きく反映されている。本書の出版を待たずして,Dr.zkayaは夭逝されたが,彼の妻Dr.Legerと副著者であり編集者であったDr.Nordinとによって完成された。また,本書は米国カトリック大学のDr.Tzerenと,Hospital for Joint Diseasesとニューヨーク大学の文学修士でありCIEのDavid Goldsheyderの協力なしには完成し得なかったことを付け加える。
 本書は,三つの部分に分けられる。最初の部分(第1章から第5章と付録AとB)は力学の基礎概念への導入であり,解説に必要となる数学の道具立てと,釣合い(equilibrium)に基づいた解析,そして人間の筋骨格系への比較的簡単な応用手順について述べている。第2番目の部分(第6章から第9章)では,整形外科分野のバイオメカニクスの応用に関連する材料の変形(deformation)特性のための解析手順を記述している。最後の部分では,人体の運動解析に対する応用や体操の力学(第10章から第15章と付録C)のために,運動中の物体の解析について記述している。
 一方,本書を執筆するにあたり,われわれは,力学の概念の導入や方法論の解説,多くの事例の解法手順の解説に多くの労力を割いてきた。これらほとんどの事例は,人体の生物学的な工学知識との関連を示せるように構成されている。適切な視点を確保するために,とくに質と量について示すことに注意が払われている。また,読者が参考文献の多さに圧倒されてしまうことを避けるために,深く学習することを望まれる読者向けに,より完全な参考文献の調査研究の結果を掲載している。
 力学の概念で生物学的現象をどのように記述するかを示すことが,本書の目的である。生体機構学の見地の知識と,人間の筋骨格系の構造的行動に関する知識は,身体に関する生物学的関数解析に対するあらゆる経験的,理論的,解析的アプローチのための基本的な前提条件である。本書を作成することにより,人体の生物学・生理学的な専門家と,構造的行動に関する工学の専門家との間の意思疎通の改善に寄与することとなろう。
●謝辞
 第一に,本書は常に学生が中心的役割を担ってきた。われわれは,ニューヨーク大学の人間工学と生体機構学の講義に参加し,テキストの制作と改良に寄与してくれたすべての学生に感謝の意を表したい。彼らの質問やコメントは教育と学習の過程をより高めてくれた。教えることよりも,学生が突然ひらめくように概念を獲得し理解することが,数段,感激の大きなことであった。大学の職員として,これほど価値のあることはない。
 Dr.Robert Garberにはとくに感謝の意を表したい。彼は,以前Springer-Verlagニューヨーク支社に勤務していたときにこのプロジェクトの立ち上げを行った。そして,Dr.RobinSmithは,Springerの生命科学に関する編集長であり,このプロジェクトを成功に導いた功労者である。また,米国カトリック大学のProf.Aydin Tzerenには長年にわたる友情と励ましに感謝したい。そして,ニューヨーク大学におけるバイオメカニクスの講義の立ち上げに尽力され,本文の修正にも大きく貢献されたDavid Goldsheyderにも,また多くの援助と励ましをいただいたDr.Victor H.FrankelとOccupational and Industrial Orthopaedic CenterやHospital for Joint Diseasesやニューヨーク大学の職員にも感謝の意を表する。
Margareta Nordin,Dr.Sci.
Dawn L.Leger,Ph.D.
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