【「中薬材鑑定図典」使用上の注意】
 『中薬材鑑定図典』日本語版を手に取られる方に、生薬学の専門家でない方もいることを予想し、本稿は、特にそのような読者への注意書きとして書かせて頂く。
 日本では、生薬とは日本薬局方において「動植物の薬用とする部分、細胞内容物、分泌物、抽出物又は鉱物など」定義され、医薬品あるいは医薬品原料として使用される生薬は多く見積もって250程度である。そのほとんどは、日本薬局方と日本薬局方外生薬規格(局外生規)(及び少数であるが日本薬局方外規格(局外規))で、基原、本質が定義され、その情報が公開されている。これらの生薬の多くは、漢方処方製剤原料として使用されるが、一般用製剤原料として単味や漢方医学の考えとは異なる配合で使用される場合もある。
 一方、中国で使用される生薬は中華人民共和国薬典(中国の薬局方名)2010に収載されているもので600以上(中国薬典2010では600程度の生薬と450程度の生薬飲片が収載されている)、収載外のものも含めると、少なく見積もっても1000以上の生薬が中医医療に利用されている。この本は、基本的に中国で実施される中医学(漢方医学とは同根であるが、現代ではお互いに異なる。)で使用する生薬についての鑑別法を記載したものであり、結果として、この本に収載されている生薬の一部は、日本では馴染みの薄い生薬であることをご理解頂きたい。
 次に、同一生薬(漢字)名であっても、中医学と日本の漢方医学で使用する生薬が異なるものがあることを、この本を利用される前に、知識として知っておいて頂くことが重要である。
 「川(センキュウ)」は、第16改正日本薬局方ではCnidium officinale Makinoの根茎を通例湯通ししたものと定義されている。一方、中国では、「川(Chuanxiong)」は、Ligusticum chuaxiong Hortの乾燥した根茎と定義されており、同じセリ科の植物であるが、別属別種の植物が使用されている。従って、本書の川の項をみて、日本薬局方に収載されているセンキュウの鑑別はできないことになる。このように、日本と中国では、同じ漢字を使用しても、使用する植物が異なる場合は多くある。実際、第15改正日本薬局方と局外生規に収載された185の生薬の基原について、中国薬典2005に収載された551の生薬の基原について比較してみると、日本の公定書収載生薬のうち、およそ2/3の122生薬しか同じ基原と部位の動植物を、その生薬の基原種として認めていない(この場合、多くの生薬で、基原として複数の種を認めているため、日本と中国において一部の基原種が同じであった場合は同一の基原と見なしている)。
 また、同じ基原種の同じ部位を使用しても、生薬名が異なる場合もある。例えば、日本の生薬、浜防風「ハマボウフウ」の基原植物(使用部位は、根及び根茎)であるGlehnia littoralis Fr. Schmidt ex Miquelは、中国で生薬名「北沙参」の基原植物(植物名:珊瑚菜)とされ使用部位も同じである。さらに、同一名あるいは類似の生薬名であったとしても、芍薬等のように、日本と中国では生薬の加工方法が違う場合もある。
 このような状況は、生薬学分野の研究者や専門家間では、常識となっている内容であるが、薬学や医学関係者であったとしても、他分野の人には意外に知られていない事実である。この本は、中医学で使用される生薬の鑑定のための本として、類のない工夫がなされた名著であるが、この本に書かれた生薬名と基原種、修治方法等は、中国薬典を原典とするものであり、前述のような理由から、日本で使用される生薬の規格書に書かれたものと一致しない場合が多数あることを了解頂きたい。その点をご理解頂いた上で本書を利用されれば、趙、陳両博士のすばらしい知識と工夫が読者のものとなると考える。
 最後に、尊敬する趙中振先生の『中薬材鑑定図典』の和訳に関与させて頂くことができて、大変光栄に思う。

国立医薬品食品衛生研究所生薬部長
日本薬局方原案審議委員会生薬等委員会座長
合田幸広
 
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