序文

 世界的に見ると,日本の化学工業界は大半が中小規模の企業で占められ,それらが競合しているのが現状である。将来,存続していくための再編成は避けられないし,すでにその動きも始まっている。「資本集約型事業の最後の決め手は資本力である」といった原則は,無視できない。
 これに拮抗できるただ一つの方策は,“Specialty Chemicals”志向といえよう。すなわち,「独自の技術,製・商品を持つ」ことである。国内企業も“Specialty Chemicals”の重要性は十分に意識しており,研究開発の管理者層も,「当社では十数パーセントの研究者には好きなことをやらせている」などと言う。一見,開発体制が整っているように見えるが,管理優先の姿勢であることは明らかである。はたして,このようなスタンスで優れた研究成果が得られるかどうかは,疑問視せざるを得ない。
“Specialty Chemicals”とは,「独自の特許,もしくはノウハウに保護された技術,製・商品」と定義できるのではあるまいか。他に先んじて見いだした知見に基づく研究成果は,やがて特許として広く認知される。基本に忠実な取組み方であればあるほど良い特許が得られ,その波及効果も大きい。
 そういった知見を生み出すためには,研究者の発想そのものに期待するしかない。人間の思考は,その風土に大きく影響されるため,いかにして好ましい研究風土を嚢成するかが成功に結び付くカギとなる。
 基本的な新しい知見は,なにも最先端の研究分野だけに潜んでいるわけではない。気がつかないだけで,既存事業の周辺分野など身近なところに埋もれているのではないか。むしろ,その方が結果的に実利に早く結び付くケースが多い。
 では,どうすれば新しく,かつ素性の良い発想を見いだすことができるのであろうか。それには,ひたすら未知の解明に注力するしかない。掘り起こす分野は新規分野でも既存事業の周辺でもよい。大切なのは研究テーマの出所を限定しないこと。そうしなければ,研究風土の醸成はおろか新規な発想が生まれる頻度も高められないであろう。
 一般に企業においては,具体的なニーズ志向の研究が重視されている。それだけに,もし企業存続のために“Specialty Chemicals”を志向するのなら,研究者の発想を促すような,融通性のある弾力的な組織作りと管理体制を整備することが不可欠である。
 私は昭和28年(1953),徳山曹達株式会社(現在,株式会社トクヤマ)に入社以来,平成10年(1998)6月に退社するまで一貫して研究畑を歩いてきた。中でもとくに印象深いのは,最初に与えられたテーマ「選択透過性イオン交換膜の合成」の研究であり,最初の成功体験,かつ初めての“Specialty Chemical”となった「ペースト法イオン交換膜という機能性材料の製造方法」の発明であった。また,昭和30年代初期の石油化学勃興期に,日本企業の多くが競ってモンテカチーニ社を訪問したことも思い出深い。目的はポリプロピレンの技術導入であったが,その高い技術の力を思い知らされた。
 こうした経験から,私は昭和30年代後半以降,研究は“Specialty Chemicals”を志向するべきだと考えるようになり,その後もこの志向を買いた。
 研究という仕事は,人間がするものだけに非常に人間くさい。そこが面白いところでもあり難しいところでもあると,私は常々思ってきた。そしていつのころからか自分の歩いた道を振り返り,研究の人間くさい部分を書いてみたいという心境になった。淡々と,できる限り事実に忠実に振り返ったつもりである。
2000年9月  水谷 幸雄
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