刊行にあたって

 どこからともなく漂う心地よい花の香り、香木を燻らせたときのかぐわしい香り、さわやかな森の香りなどなど、私たちの周りには実に様々な香りが存在します。香りは我々人類が地上に現れて以来、常に我々のそばにあり、生活の中にありました。お寺の線香、温泉の湯煙、酒蔵の町の香りなど、地域に根ざした香り文化を見直そうという動きもみられる近頃です。香りは文化と共に歩み、そして、やすらぎをもたらしてきてくれたのです。それほどに身近な香りですが、香りには形がないために、曖昧模糊としたものとして取り扱われてきたのも事実です。見る、聞く、触れる、味わうという他の感覚が、波長、音量、体感温度や手触りの触感、糖度などで数値化して表すことができるのに比べて、香りの場合には例えば、ハッカのようなにおい、樟脳のようなにおい、青臭いにおいなど、抽象的な表現はあるにしても具体的に数値化することが難しいからです。しかしながら最近の科学の進歩によって生み出された機器と計測技術によって、香りの作用は日々明らかにされつつあります。より身近にありながら、わかっていそうではっきりしなかったベールに包まれていた香りの真相が今や明らかになりつつあります。そのような点では、香りの世界は、古来伝わる歴史的・伝統的なものに最新の技術・利用法などが入り混じり、まさに幅広い範囲をカバーしているといえるでしょう。
 香りやにおいに関する書籍は、芳香植物やハーブなど天然物を対象にしたもの、香料、精油に関するもの、アロマテラピーやにおいの生理機能に関するもの、嗅覚や分子構造に関するものなど数多くが見受けられますが、それらはいずれも特定の分野を対象にしたものであることが多く、事典ふうに書かれたものでは芳香植物の解説をまとめたものや、香料に関する内容をまとめたものなどが存在します。
 しかし香りに関する幅広い項目を比較的短いページで、その意味するところを簡潔にまとめあげ即座に内容を把握できるような事典は、今までのところ見当たりませんでした。そこで、企画、出版に至ったのが本書です。
 目次の分野をごらんになってもおわかりになりますように、わが国に古来伝わる香りに関する項目から、最新の香りに関するトピックや香りの科学で使用される学術用語に至るまで、新旧織り交ぜて香りに関する必要な項目を幅広く網羅しているのが本書の特長です。香りに関する話題を、平易な文章でわかりやすく、かつ、必要に応じて専門的に掘り下げることも試みていますが、全体的にはその内容に興味深く入り込むことができ、楽しく読め、容易に理解できるような組み立てになるように心がけて書かれています。そのために、図表や写真を多く使用し、また、数ページにわたる中項目でも、導入部の数行で内容の概略を容易に把握できるような構成となっています。いわば、本書は、目に見えない、つかみ所のないイメージのある香りをビジュアル化して、その意味するところを簡潔、かつ的確な説明によって、より身近なものとした事典といえるでしょう。そういう点では本書は知識・情報を得るための参考書となることはもちろんのこと、読みものとしても楽しく入り込め、「家庭に一冊あると便利な香りの百科」として、豊かな話題の提供源になることでしょう。
2005年1月 編集委員長 谷田貝光克
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