人類と酵素とのかかわりは非常に長く、何千年も前からすでに、チーズ、ワイン、ビールなどの製造手段として人々は(知らず知らずのうちに)酵素を利用していた。しかし、酵素の実体がタンパク質触媒であると分かり、“生命の神秘とは独立に働く化学物質”として市民権を得たのは約100年前にすぎない。その後も、天然から抽出した酵素が一部で用いられてはいたが、その種類も量もわずかで、日常生活への利用は極めて限定的であった。こうした動向を一変したのが、1990年前後における遺伝子工学の勃興とその後の驚異的な進歩である。遺伝子組み換えを利用して、必要な酵素を望みの量だけ安価に製造し、また使用目的にそって改変できるようになった。さらに、酵素の化学修飾法も著しく進歩し、天然酵素にはない新たな機能や物性を自在に付与できるようになった。こうして、酵素の応用技術は驚異的な進展を遂げ、今日では、各種の工業プロセスにおいて幅広く用いられ、また私たちの日々の暮らしに必要不可欠なものとなっている。しかも、関連技術は現在も日進月歩であり、次々に新しいものが開発されている。
本書は、こうした現状を踏まえ、酵素の製造法、改変・安定化・高機能化技術、人工酵素の構築法、各種産業への応用(医薬、医療、食品、洗剤、繊維、農業、環境……)などに関する最新の情報を網羅集約している。したがって、大学や企業で関連の仕事をしている方々がお読みになれば、酵素科学の現状が広範かつ正確に把握でき、さらなる発展への指針が得られるはずである。また、酵素の構造解析、反応追跡、各種分析、デバイス化などに関しても、最新の情報を含めて解説してあるので、酵素の応用技術や関連科学の新たな側面を見出すにも有効であろう。もちろん、酵素科学全体を体系的に学習してみたいという方々にも、基礎から応用までの幅広い情報が得られるので非常に有用である。本書が幅広く活用され、酵素科学のさらなる発展に寄与し、また、酵素をツールとする次世代科学の発展の契機となってくれればと切望する次第である。

(「はじめに」より 小宮山 眞 東京大学先端科学技術研究センター)
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