発刊にあたって

 本書『ナノテクノロジーの基礎科学』は,NANOTECHNOLOGY−−basic science and emerging technologies/ Michael Wilson et al. の全訳であり,ナノテクノロジー全般の入門書として大変行き届いた編集のテキストである。これからナノテクノロジーを手がけようという学習者にとっては,願ってもない内容から構成されている。
 ナノテクノロジーは,単一の独立した分野ではなく,広い科学技術全般を,ある側面から眺める技術の集合といえるので,特定の分野を深く学習する前に,その関連分野全般でどのようなことが行われてきたか,また行われつつあるかを知っておくことは,極めて重要である。原書著者が「序文」で述べているように,本書は最先端の詳細な研究に入る前の,広い予備知識を得るための最適なテキストを目指している。
 本書のキーワードは,「見よ,観よ,そして学べ」である。本書の随所に,「生物界から学ぶことはたくさんある」,「自己組織化という点では,自然が長年この問題を解決してきたことは驚くべきことではない」という表現が見られることに読者は気づくであろう。
 時代の最先端を行くといわれるナノテクノロジーの多くは,全くこれまで存在しなかった物質,現象を扱うものではない。実は,生物界,自然が長い間に完成してきた物質,現象を,「注意深く観察することによって,そこから学び,それを発展させる」ことによって,多くの技術革新を実現してきたのである。
 DNAの自己組織化から学んで,膨大な量の様々なナノマテリアルやナノ構造体,架台,さらに実働ナノマシンを作り,モルフォ蝶の羽の信じられないような美しさを研究して,それが色素で得られているのではないことに驚き,感激すると同時に,ナノサイズの世界における光の特殊な動きに関する研究が進む。また,鉄を得るのに,なぜ,ダイナマイトによる爆破,高熱における還元などが必要なのであろうか,微生物には,常温でそれをしてくれる可能性を持つものがいるではないか。このように本書は,新規に考え出すことも重要であるが,自然をもっと深く良く「観察し」「研究する」ことによって,あるがままの自然界よりもさらに数段いろいろな点ですぐれた技術を生み出すための示唆が得られることを,随所に述べている。
 ナノテクノロジーの発展に極めて大きな貢献をしている技術に,「見る」技術がある。各種の電子顕微鏡技術の発展なしには,これまでの発展もなかったであろうし,これからの技術向上も期待できなかったであろう。原子,分子を直接見ることができるという途方もない技術の開発に貢献した研究者に対しては,だれもが敬意を表するであろう。
 ナノテクノロジーの発展により,あらゆる分野で,「効率が大幅に上がる」ことが期待されており,経済効果は計り知れない。また,ナノテクノロジーは,自然資源に乏しいが,頭脳には恵まれている日本にとって,願ってもない研究テーマである。バイオテクノロジーにおいて,若干遅れをとった日本ではあるが,ナノテクノロジーは,政府の主要重点分野技術に指定され,国家戦略としてこれからますます研究が盛んに行われるであろう。米国をはじめ,各国においても,国家戦略として研究が進んでいる。今後の研究を支える学習者に期待されているものは大きい。
 本書は,単なる技術入門書ではなく,「良く観察し,自然に学ぶこと」が研究の出発点であると同時に到達点でもある,という古くて新しい研究の哲学を教えてくれる指導書でもある。
2003年8月  監訳者 小薗井 薫
Copyright (C) 2003 NTS Inc. All right reserved.