監訳者 まえがき

 わが国の繁栄には科学技術の振興が必要欠くべからざるものであるという考えから、1995年に科学技術基本法が制定された。これにもとづく第2次及び第3次科学技術基本計画では、広範な分野に大きな波及効果を持つナノテクノロジー・材料の研究が重点4分野の一つとして取り上げられた。デバイスやマシンのサイズをマイクロメートル(10-6 m)からナノメートル(10-9 m)の領域に持ち込むことによって、高密度・小型化、高速化や省資源・エネルギーを可能とすることが目標となっている。これには大別して従来のシステムをマイクロからナノにダウンサイジングする「トップ・ダウン」方式と、サブ・ナノの原子分子を集積させる「ボトム・アップ」の方式とがある。Balzaniらによる本書は、後者の方式を総合的に扱った名著である。
 化学者は19世紀後半から合成化学の手法を磨いて、サブ・ナノメートルの分子からなる物質を任意に作り出すことができるようになった。その後高分子合成が可能となり、20世紀の終わり頃からは、分子性物質を集積させ巨大分子や分子集合体を作り出す方法を明らかにしてナノサイズに到達してきた。これらを分子デバイス・分子マシンにする研究も始まっているが、まだプロトタイプの研究が多く、溶液中の非コヒーレントな分子の性質・挙動にとどまり、実用に耐える固体の分子デバイス・分子マシンとなっているとは言いがたい。
 本書は、化学者に対しては、ナノサイズのデバイスやマシンに到達するには、何が必要なのかを適切に論じている。また物性物理学者、IT科学技術者に対しては、分子からのアプローチがどこまで進んで、どのような可能性を秘めているかを具体的かつ体系的に示している。廣瀬千秋博士は光化学・分光学の専門家であり、短期間に完成度の高い翻訳原稿を作成された。有機化学を背景に持つ岩村は、これと相補的に、化合物の名称、構造式、化学反応について特に目を配った。
 ナノサイエンスには、ボトム・アップの出発点というだけでなく、このサイズの原子.分子に特徴的な量子サイズ効果がある。これをデバイスに組み込むことができれば、概念的にも革新的なデバイス・マシンの誕生が期待される。また、これら研究の成果は、科学技術基本計画のその他の重点分野である情報通信(IT)及びライフサイエンスの研究に対しても大きな波及効果が期待される、21世紀の初頭で最もホットな研究分野の一つである。若手研究者の挑戦を期待し、本訳書がその一助となればと願う。
2006年9月 岩村 秀
Copyright (C) 2006 NTS Inc. All right reserved.