序文

 「もの」の設計・製造・管理において,構造工学は中心的役割を果たしている。人工物のみならず,自然のしくみを知り,それを制御するためにも構造工学の知識を欠かすことはできない。すなわち,われわれが使う人工物,あるいは,われわれをとりまいている自然そのものとわれわれの関係を向上させるための基本的な知識体系の代表的なもの,構造工学と呼ばれるものなのである。
 昨年の夏にギリシャのアテネで国際会議があり,たまたまそれに出席する機会があった。そのついでに,アクロポリスの丘の上に建っている世界遺産,パルテノン神殿を見学した。「立っている」ではなく,「建っている」ということをここで強調したいのである。力学の概念すら知る由もなかった当時の建築家がどのようにして2500年もの長い風雪に耐えられるあのような巨大な建築物を建てることができたのだろうか。行かれた方はご存知と思うが,そこに辿り着くまでに麓からかなりの階段を登らされる。どのような方法であのような険しい丘の上にひとつひとつが何トンもある石材を運んだのであろうか。話は変わるが,15年ほど前に,完成直後の瀬戸大橋の吊橋,斜張橋,トラス橋など,世界最大級の橋梁群を船に乗って下から見学したことがある。そのとき,その偉大さというか凄さに圧倒され,感激で目頭が熱くなったことをいまでも覚えている。パルテノン神殿にしろ,瀬戸大橋にしろ,これらの人工物の設計や製作はすべて構造工学によって支えられているのである。さらに,ここ最近,構造工学は以上のような大型の構築物のみならず,電子デバイスなどの設計においても必須の工学体系となっている。また,医療分野においても構造工学の知識が使われるようになってきた。いまや工学,理学,医学,農学など,あらゆる分野において構造工学が使われているといっても過言ではない。人類史上において経験した多くの災害や事故においては,構造工学にまつわる失敗が少なからず絡んでいたことも事実であるが,だからこそ,構造工学は人類の生命・財産を守るために不可欠な分野であるといえる。
 さて,ほかの分野以上に,構造工学においても情報技術との連携が最近ますます重要となっている。すなわち,コンピュータと計算力学の発展により,20世紀後半からの構造工学は様変わりした。いまや,コンピュータや計算力学なしでは構造工学を論じることはまったく不可能である。一方,構造工学に関する材料技術や実験技術も大きく進歩した。この点ではやはり20世紀後半から急速に進歩したナノ・マイクロ技術との連携が特に強調されるべきであろう。構造工学は昔からよく知られた工学体系であり,どちらかといえば成熟分野といわれているが,以上に述べたように,最近,急速に新しい工学体系へと変身を遂げつつある。
 本書はこのような背景の下において,既存の考え方にとらわれず・できるだけ斬新さを強調するといったスタイルを採ることとした。この分野の技術者,研究者,さらに学生諸氏に,現状においての必要な最新情報を提供し得るものになったと確信するが,同時に学術と技術の急速な進歩に即応して,絶えずその内容を更新し,充実していく必要がある,利用者のご叱正とご協力をお願いする。

 このハンドブックは,14名の編集委員を中心に160名の執筆者によって編集,執筆されたものである。これらの方々のひとかたならぬ熱意に敬意を表すとともに,丸善出版事業部の桑原輝明氏,小林秀一郎氏,角田一康氏のご協力に心より謝意を表したい。
2004年3月  『構造工学ハンドブック』編集委員長 矢川 元基
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