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序 水産資源の有効利用とはなにか

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2004年度のノーベル平和賞を受けたケニアのワンガリ・マータイさんが,2005年2月に来日し,京都議定書の発効記念行事や各地での講演で,「天然資源を大切に使い,みんなで分けあっていくこと」の理念の大切さをアピールした。同時にその笑顔と包容力で多くの日本人を魅了した。このとき,彼女は日本語の「もったいない」という言葉に感銘をうけたという。品物を作りすぎたり,再利用できるものを棄ててしまったりすることが,まさに「もったいない」のである。現在,われわれの身の周りには,その対象となっているものがあふれていることに気づく。
地球は広いように見えても,食料資源の開発はすでに限界に達している。さらに現在,環境の悪化が速やかに進行しつつある。これらを重層して考えると,今世紀における人類の食糧供給,ひいては生存自体にも濃い暗雲がたちこめていると考えなければならない。そこでこれを機に,広大な海洋(他の水圏も含む)から得られる魚介類,海藻をはじめとする既存の水産資源を見なおす作業にとりかかる必要がある。また資源のうち,食料,飼肥料,工業製品などに利用されているものだけでなく,未利用のまま投棄されているものにも着目し,将来における有効利用の可能性を検討する必要があろう。
水産分野における有効利用に関する取り組みは,すでに以前から様々な形で実践されていた。とくに,平成12年度日本水産学会(福井市)で「水産ゼロエミッションの現状と課題」1)が,つづいて同13年の日本水産学会創立70周年記念サテライトシンポジウムとして,「水産物の有効利用法開発に関する国際シンポジウム」(京都市)が開かれ,今後進むべき道の一つが提示されたように思われる。しかしながら,工業分野などに比べると,まだまだ多くの面で立ち遅れているというのが実情である。
これまでに出版された漁獲物の有効利用に関する報告や単行本2〜10)を通覧すると,共通項として下記の側面が包含されていることがわかる。最近では,それぞれの分野が徐々に深化しつつあり,しかもバラエティーに富むようになってきた。
1)食料
2)家畜,ペット,魚介類などの飼料または飼料添加物
3)肥料
4)工業原料
5)医薬品・研究用試薬
6)酵素類
7)その他(建材およびその原料,装飾品,養魚用施設,人工漁礁など)
本書は,はじめ上記国際シンポジウムの講演録『More efficient utilization of fish and fisheries products』2)を翻訳して出版する予定であったが,この講演録は同シンポジウム開催後3年を経過したのちに出版されているため,単なる翻訳出版ではなく,新しい知見や新規の領域もとりいれた多角的な内容とすることとした。これにともなって執筆陣も再構成して出版することにしたものであり,各執筆者はその分野における最先端の知見をもりこんで執筆にあたっている。本書では主要な内容を以下に示す5章に分けた。
1)水産食料資源とその利用については,多くのエネルギーを費やして漁獲された魚介類はすべて陸揚げされるわけではなく,投棄される魚介類がかなりの量に達する。さらに陸揚げされた後も調理・加工の際に,残滓となるものが相当量発生することがわかっている。ここではまずその現実を把握することから出発し,必要とされる対策に検討を加えることにした。その他にも,イカ,サケ,ナンキョクオキアミ,ハダカイワシなど,これまで重要とみなされている魚介類をとりあげて,その利用方途を論ずる。
2)水産生物体内には多くの物質が含まれるが,これまでにその存在自体が明らかにされていなかったもの,その存在はわかっていても利用用途が未開拓であったものなどがここで数多く述べられている。本章では11節に分けて掲載した。しかし,これらの情報はきわめて貴重ではあるが,おそらくほんの一角に過ぎず,将来われわれがこの世界に大きく足を踏みいれたとき,まさに壮大な宝庫の中にいることを実感するにちがいない。
3)廃棄物ややっかいものは身の周りにあふれている。魚介肉や藻類の利用残滓,魚腸骨,貝類や甲殻類の殻,ヒトデ,クラゲ,赤潮藻など数えあげればきりがないが,これらはすべて自然の恵みに由来する。魚介肉もその恵みの一部であるが,畜肉にくらべて筋肉組織が脆弱で,はるかに腐敗しやすく,また一般にマグロなど大型のものを除くと,内臓,骨,鰓などを込みにして取引される。このとき流通過程のみならず,各家庭においても廃棄物がでるし,保管に際しても腐敗・変質によるロスが発生する。これらをそのまま海や川へ捨てたり,そのままにしておくことは許されない。今われわれの手持ちの知恵をもちよって,これを解決していかなければならない。これ以外にも手を尽くさなければならない問題は多い。まだ完全ではないが,そのための思想と技術が本章に述べられている。
4)近年,国内で製造される水産加工品のなかで,ねり製品は冷凍品,油脂・飼肥料を除くと,塩蔵・乾製品についで生産量が多い。かまぼこなどのねり製品は,以前は国外ではあまり注目されていなかったが,近年ではカニ風味かまぼこの出現以来,国際性が高くなった。その理由は,ねり製品は比較的簡単に製造することができるうえ,外観,風味,テクスチャーなどを容易に変えることができるところにあると思われる。また有効利用の面からみると,現在冷凍すり身などに多用されているスケトウダラも,もともとは未利用資源であり,その活用に途を開いたのは偉業といえる。多獲性の魚類でなくとも,多くの種類の,いわゆる雑魚を原料として利用しうる点からも,ねり製品はその道の優等生といえよう。このようなわけで上記の英書 2)にもとりあげられているが,これを補完しつつ,本章でも6節に分けて掲載している。
5)あのBSE(牛海綿状脳症)問題は根深くて,いまだに消費者のビーフへの信頼性を回復したとはいえない。この問題は,もともとウシやヒツジの脳,脊髄などを含む廃棄物を肉骨粉として有効利用しようとしたことに端を発するものである。水産物においてもその品質は安全性と密接に関係しているから,有効利用と切り離して議論することはできない。これまでにHACCPをはじめとして,われわれの生存を脅かす可能性のある危害を未然にとり除く技術が考案されてきた。実際にこれらはきわめて有用なものであり,今後も改良を加えながら維持していかなければならない。ただ,われわれは危害を恐れるあまり,すこしでもその可能性があると判断すると,当該食品や原料を再利用せずに投棄してしまうことが多い。これは「疑わしきは罰する」という考えに基づくものである。しかし,今世紀には,上述のように地球上の資源は枯渇し,環境の汚染が広がってくるのであれば,なおのこと危害を未然に防ぎつつ,品質を管理し,同時に資源を有効利用する姿勢を貫かなければならない。
一般的にゼロエミッションの達成は容易なことではない。水産資源は種類がきわめて多岐にわたるため,必然的に多くの角度から可能性を追求しなければならない。これを実践するに際しては長期にわたって多くの困難をともなうが,けっして諦めることなく歩をすすめれば,やがてそのゴールにゼロエミッションが見えてくると確信している。前述のマータイさんは講演のなかで,われわれの前に横たわる困難な問題を解決していくためには,「信念と忍耐をもち,そしてねばり強く進むこと」,「その過程でたとえ不安や恐怖を感じたとしても,その向こうにあるゴールを常に見すえて行動すること」が必要だと述べている。
本書が,水産関係者はもとより農芸化学,食品工学,薬学,環境科学などに関連する諸氏の目にとまり,何かのお役に立てば望外の幸せである。
各執筆者にはご多用の折に稿をすすめていただいた。また出版に際しては,(株)エヌ・ティー・エス代表取締役・吉田隆氏,同社企画編集部・松風まさみ氏,冨澤匡子氏には多大のご助力を賜った。ここに記して心より御礼申し上げたい。
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1) |
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三浦汀介, 他:日水誌, 67, 308―318(2001). |
2) |
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More efficient utilization of fish and fisheries products, ed. M. Sakaguchi, Elsevier, Amsterdam,(2004). |
3) |
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Making profits out of seafood wastes, ed. S. Keller, Alaska Sea Grant College Program, Anchorage, Alaska,(1990). |
4) |
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Making the most of the catch, eds. A. Bremner, et al., AUSEAS, Brisbane, Australia(1997). |
5) |
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Seafood enzymes, eds. N. F. Haard and B. K. Simpson, Marcel Dekker, New York,(2000). |
6) |
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安元 健,神谷久男 編:海産有用生理活性物質(水産学シリーズ 65), 恒星社厚生閣,(1987). |
7) |
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隆島史夫,松田 絞 編:地球にやさしい海の利用, 恒星社厚生閣,(1993). |
8) |
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食品産業環境保全技術研究組合編:未利用資源の有効利用技術を探る,恒星社厚生閣,(1998). |
9) |
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内藤 敦 編:海洋生物資源の有効利用,シーエムシー出版,(2002). |
10) |
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Advances in fish science and technology, ed. J.J. Connell, Fishing News Books Surrey, England,(1980). |
坂口 守彦(京都大学名誉教授)/平田 孝(京都大学大学院教授) |
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