発刊にあたって

 遺伝子組換え技術は誕生当初からリスク評価のあり方について国際的な議論が生じ、同技術の利用に関する科学的なリスク評価体制は国際的にも十分に発達してきたかのように思われていた。しかし、遺伝子組換え農作物が実用化されるまでの時間は輸出国の農業関係者や国民にとっては十分であったのだろうが、それを受け入れる国々にはあまりにも短時間であったのかもしれない。往々にして新しい技術の利点やリスクが消費者に広く知られるまでは、社会的に(特にマスコミの)議論の材料となりやすい。遺伝子組換え技術もその一つとなってしまったことは誠に残念だが、新しい技術を導入するにはどのようにして民意を聞き、誰がどのように決めるのか、そして許される技術のリスクの範囲はどこまでか等の問題を考える機会にもなった。また、先端的な技術であるが故に、国際的に先導する国々とそれ以外の国々の技術環境の差、さらには安全性に対する認識の差の影響を受けやすかったとも言える。遺伝子組換え生物の実用化に関する規制に関しては、本書で紹介するようにこの数年間で食品としてリスクアナリシス、生物多様性影響評価のための国際的な合意が形成され、それを受ける形で多くの国々で規制強化の方向へ変化していった。
 リスク評価を科学的に議論するならば、これまでも幅広く使われている交配等の従来育種では、新品種において40,000の遺伝子(イネのおよその総遺伝子数)のうちのいくつに突然変異が起きているかは予測不可能だった。しかしながら、40,000の遺伝子の中に新たにその性質の分かっている一つの遺伝子を加えた遺伝子組換え体の方が、より詳しくその変化を知ることができるはずである。それでも、この技術の食品への利用に異を唱えるグループが作り上げたイメージをマスコミが好んで流すことによって、遺伝子組換え食品は長期間食べると何が起きるか分からない、消費者に何もメリットがない、環境に影響を与えると決めつけられてしまった。
 消費者は自分が何を食べているのか知る権利があり、異なる製品を購入することで自分の選択を反映することができる。しかしながら、その前に食の意義、食品の安全性を正しく理解し、食料はどのように生産され、どのような食を心がけなければいけないかを、まず自分で考えるべきであることを忘れているように思われる。これは、都市中心の分業的な社会が進みすぎ、自分たちが食べているほとんどのものが生物であることを忘れ、どのようにして現在の農作物品種が育成されてきたかを知らずに、農業からかけ離れた生活を送っているためと思えて仕方がない。
 自然科学の利点と欠点のバランスをうまく取れる成熟した社会を形成していくためには、その開発、リスク評価、リスク管理の過程を一般に分かりやすい情報として公開する必要がある。そして我々は、知る権利を上手に使って、的確な情報を入手し、判断する能力を自ら養っていく必要がある。そうしないと科学技術はゆがめられ、その結果、行き過ぎた規制により食料生産の道を自ら閉ざすことになりかねない。
 本著は、遺伝子組換え生物を実用化する際に必要となる安全性評価に関する情報を網羅し、関係者が理解しやすい手引き書となるよう、第一線で活躍される方々に執筆していただいたものである。また、安全性評価の手引き書としてだけでなく、開発した組換え体を世に出す際に配慮すべきこと、説明する際の手引きにもなれば幸いである。
 終わりに、遺伝子組換え技術のリスク評価に関する総合的な手引き書の出版の機会を与えていただいたNTSの方々、執筆にご協力いただいた著者、編集者の方々に深謝いたします。
2005年4月  日野 明寛
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