発刊にあたって

 私どもの体内では,さまざまな生理活性物質がたえず生産されて日常の生理機能の円滑な発現に寄与している。これらの活性成分のうち動物起源のインスリン,ヘパリン,ACTH,カルシトニン,成長ホルモン,セクレチン,コソドロイチン硫酸,カリクレイン,ウロキナーゼ,エラスターゼ,ヒアルロニダーゼなど治療薬として定評を待ているものも少なくない。近事,生体成分に関する学問の進歩によって多くの魅力的な生理活性物質がつぎつぎと見出されて話題をさらっている。これらのうち近い将来の治療薬としての可能性をうたわれているものが既に数種に及んでいる。しかしながら,それらの活性物質を含有する臓器から目的物を抽出精製して医用に供することは一般には困難である。概してこれらの活性物質は含量が少ないので,それらを手にしようとすると大量の臓器を必要とし,ものによっては日本国内の屠場の生産する臓器だけでは間に合わず広く世界に供給を仰ぐということにもなってくる。従ってそれが廉価な屠場副生物であったとしても凍結して運んでくるので非常に高いものにつく。よほど高価な製品か歩留まりの良い製品でないと採算がとれないことになる。このようなことがあって動物臓器や体液あるいは分泌物を原料とする医薬品産業は非常に限定されたものであった。しかしながら、この数年の遺伝子操作や細胞融合の技術を応用した革新的な物質創成技術(バイオテクノロジー)の誕生と進展とによって,ペプチド性あるいはタンパク質性生理活性物質なら理論的には一応どんなものでも生産でき,しかも量産も可能ということになってきた。すなわち,ソマトスタチンに始まってインスリン,成長ホルモン,セクレチン,インターフェロンとつぎつぎに成功をおさめ,既にこの新技術によるインスリン,成長ホルモン,インターフェロン(α,β)は実際臨床への応用が開始されている。また,従来なら研究室に止まっている筈のインターロイキン2(IL-2)や腫瘍壊死因子(TNF),がん破壊因子(CBF),組織プラスミノーゲンアクチべ−ター(TPA),エリスロポイエチン(EPO),コロニー刺戟因子(CSF),血液凝固方策因子(Factor)などもすでに夫々の遺伝子のクローニングが終り,大腸菌や物動細胞での発現に成功し,このうちのいくつかは量産の検討に入っている。これは大変驚異的なことで,ドラッグ開発のターゲットとして生体成分を追い求める限りリスクが小さいと言うこともあろうが,このような新しい技法を手にしたことが今日多くの研究者をして,あたかも宝探しのように動物成分の見直しや更には新しい有用成分の探索に駆り立てゝいると感ずるのは筆者のみではないと思われる。従って,動物臓器利用産業が今後はバイオテクノロジーによる生産物にとって代わられて衰微するという一般的な見解とは裏腹に,食肉産業の副産物利用と言った副次的な立場ではなくて,これらの新技術に裏付けられたより精緻な,より高次の産業として粧いを新に逆にむしろ進展するのではないかとさえ思われてくる。
 因みに,私どもの生体は数万から10万種ほどの何かの機能を持ったタンパク質を絶えず生産していると想定されているが,そのうち私どもが実際に分離して同定し得たものはせいぜい200種で,医薬品として利用しているものほ20種そこそこである。言いかえると私どもの生体の中にはまだまだ多くの有用なドラッグ候補がひそんでいることになる。まさに宝の山である。バイオテクノロジーを身につけた研究者達がこの宝の山に分け入って,新しい有用成分を見出すべく激しい競争を展開することは必至と思われる。このような時に目的とする生理活性物質については勿乱それらを含有する臓器そのものについても適正な知識が得られて,しかもハンディな本が手元にあれは研究者や関係技術者にとってどんなに重宝だろう。また貴重な動物資源を無駄にしないですむばかりでなく,先達の経験を一望に収めることができるので無益な努力をしないですむだろう。
 そんな本を誰か作ってくれないだろうかと思っていた。たまたまR&Dの山本社長が同様な趣旨の本を出す意志を持っていることを知り,大いに共鳴して私なりの執筆計画を提示したところ,監修を委託されることとなった。薄学非才を顧みずお引受けすることにしたが,山本社長始め編集担当者の努力によって現時点ではこれ以上望めない第一線級の執筆者を網らすることができ,しかも立派な内容の原稿を頂き監修責任者として大いに満足するとともに各執筆者の真摯な対応と御努力とに深謝している。この立派な顔ぶれと内容とに相応しい本の体裁ということで,全体としての文体や術語・用語の統−などを図るべきであったが,これ以上出版をのばすわけにはゆかないので敢てこれを割愛し上梓することにした。なお,監修者の努力が足りず出版を1年も遅らせ,そのために早々と原稿を御送付下さった執筆者の方々に大変御迷惑をかけてしまったことを深くお詫びする。また,できるだけ多様な生理活生成分を網羅することを念願していたので,医薬品以外の分野での利用についての記述が手薄になったことをお断わりしておかなければならない。
 最後にこの本の読者に対する要望として,この本を手にされていろいろ御気付きになったことがありましたら御遠慮なく私なり,出版社の方なりに御申し出て下さい。また各項についての質疑がありましたら担当執筆者へ御紹介いたしますのでそれもどんどん申し出て下さい。執筆者は勿論,読者の皆さんによってもこの本が出版された後にもいろいろ磨きがかかって他日一層立派な本になって御目見えできることを望んでやまない。
1986.11.25  奥山 隆
わだいの本  「動物成分利用集成」陸産動物篇

奥山 隆(中外製薬(株)研究所理事)編
 生体は、タンパク質、脂質や繊維質など、無数の生理活性物質の集合体であり、絶えず体内のどこかで、何かしらの物質が働いて生命を維持している。しかも、その中にはごく微量でありながら、重要な役割を担う物質も数多くあり、薬品などにも応用されている。
 また、近年はクローン技術の応用により、必要な生理活性物質を動物に大量に作らせる、いわゆる「動物薬品工場」という構想も具体化しつつある。クローン技術には未だ安全面や倫理面などに対する抵抗感も強いが、うまく利用されれば、化学・生物学や医学はもちろんのこと、多種多様な分野に画期的な進歩をもたらす可能性がある。
 さて、「動物成分利用集成陸産動物篇」は、こうした動物由来の生理活性物質を、可能な限り網羅した一冊である。どの組織でどのような物質が作られ、どんな働きをしているか、そして、どのように精製するか…などの知見が、簡潔でありながら必要十分な情報量にまとめられており、その物質の概要を知る手がかりとして大いに役に立つ。生物・畜産学や医学の研究者は必読の本である。
(養鶏の友/養牛の友 2003年2月掲載)
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