監修のことば
 今回の『臓単』は、「語源から覚える解剖学英単語集」シリーズ既刊の『骨単』『肉単』『脳単』に続く第4弾である。当初予定したこの英単語集シリーズも、ひとまず今回の『臓単』で一区切りということになる。人体の構造・解剖に関してこれら4つのシリーズで網羅したことになるが、奥深い人体の仕組みには、興味深い切り口がまだまだ沢山存在するようにも思う。時宜をみて、また是非新たな企画を考えていきたい。監修のことばもまた今回で4度目ということになり、一般的な事柄に関してはほとんど言い尽くした感があるが、今回の『臓単』、すなわち内臓学に関して思い浮かぶことを述べてみたい。
 解剖学といえばまず歴史的に「内臓学(splanchnology)」というのが一般的であるかもしれない。解剖学は、肉眼解剖すなわち肉眼で観察できる臓器の探求から始まった。体幹の体表下、つまり胸部では胸郭の中に、腹部では腹壁のすぐ下に大きな臓器の集団が存在していることや、それらのおおまかなはたらきについても、人類はいち早く気づき認識していたに違いない。動脈、静脈、神経、腱の区別やその機能に関してつい最近まで曖昧であったことは『脳単』の中で述べた。脈管や神経、骨や筋肉などに比較して、この『臓単』で取り上げられている内臓器官は、長い歴史のなかで我々により身近な存在であったに違いない。事実、内臓に関するさまざまな言葉は古今東西、根強く現在の生活の中で生き続けていることはコラムでも取り上げたところである。
 内臓諸器官は機能的なまとまりによって系統(システム)を形成し、呼吸器系、消化器系、泌尿器系等々に分類され、そのシステム名はそのまま医療現場の診療科の看板にもなっている。同一の系統に属する諸器官は、物理的に連続していることが多く、連携して特定のはたらきを担っていることに改めて気が付くであろう。系統に沿って、各臓器の構造や機能、そして疾患を理解し、診断や治療へとつなげるのが現代医学の基本的なスタンスとなっているのである。これらの臓器間の連携のために解剖学的諸構造のひとつひとつがどのように関わっているのか、その構造名称や背景にある用語の語源や関連コラムを堪能しながら本書を眺めてもらえればと思っている。
 原島氏は、実物の標本を参考にして今回も多くのイラストや写真を随所に配置し、この『臓単』も大変わかりやすく親しみやすい本に仕上がっている。これまで同様、本書も解剖学や言葉に関心のある読者諸氏に広く受け入れられることを切望する次第である。
2005年11月 東京慈恵会医科大学解剖学第1教授 河合 良訓
序文
 人体というものに最初に興味を抱くきっかけは、幼稚園の頃に手にした学研の図鑑『人とからだ』であった。学研の図鑑シリーズは数ヵ月に一冊ずつ、好きなものを選ばせてもらって親に買ってもらい、最後にはかなりの数が揃ったのだが、本の背が壊れてボロボロになるまで読んだのは、この『人とからだ』と『昆虫』であった(反対に、車などの乗物の図鑑にはほとんど興味を示さなかった)。最近になってこの『人とからだ』の新訂版を目にしたのだが、どのページも今だに脳裏に刻み込まれており、新訂版になって加わったであろう図がどれかというのも一目で判る。写真や絵の持つインパクトは強力である。この図鑑の肝臓のイラストは、肝臓に入って行く門脈が紫色の太い血管として描かれ、赤い動脈や青い静脈と共に肝門を入り、肝小葉へと分岐して行く。このイメージが印象的だったため、私は幼稚園か、小学校低学年の頃、「人間の血管には動脈と静脈と門脈があるんだ」と主張して回っていた記憶がある。たった一つの図が、解剖学のなんたるかも全く分からない幼児の心に「門脈と呼ばれる紫色(?)の血管」についての重要性を植え付けることに成功にしたわけである。実際、解剖学を理解するためには、視覚からの情報、とりわけ三次元的な内臓諸器官の立体的な位置関係の把握は必須である。それゆえに、解剖学と絵画の歴史との間には密接な関係がある。
 ヘロフィロス(Herophilos,前375-290。⇒p.77)によってなされた人体の解剖等を別とすると、古代ギリシャ・古代ローマから中世ヨーロッパにかけては人体解剖は長く禁止されていた。この期間に描かれ現在も残っているごく少数の解剖図は、どれも実像とはかけ離れたものである。ところが、ルネッサンス時代となり絵画に写実主義が生じると、解剖学図にもその影響が及ぶようになる。その先駆けは、よりリアリスティックな人物像を描くために人体の解剖に興味を抱くようになったレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonard da Vinci, 1452-1519)である。彼の数多くのスケッチには、それまでの平面的な図とは比較にならないほどの立体感や精緻さ、描写力がある。また一つの対象物を様々な視点から捉え、かつ構造が理解できるよう断面を色々と模索した感がある。構図を工夫したこれら解剖図が、解剖学者としては素人である画家ダ・ヴィンチによってなされたというのも興味深い。彼の解剖学図は、本職の解剖学者と共同で出版される計画があったようだが結局実現せず、当時は一般の目にとまることがなかった。とはいえ、ダ・ヴィンチの図は、精密かつ迫力のある解剖図を載せた画期的な「ファブリカ(人体の構造に関する七章; De humani corporis fabrica libri septem」を著したヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1414-1564)や、後の写実的な解剖図作者達に大きな影響を与えたとも言われている。加えて、15世紀以前は本はすべて手書きの写本によって複製されていたが、活版印刷の発明も、それら精密な図版の載った解剖学書の大量生産を可能ならしめている。こうして、絵画技法の進歩や、印刷技術の向上が、視覚情報を多く必要とする解剖学の前進を促していたのである。日本でも、江戸末期以降、ヨーロッパから持ち込まれた解剖学書を元にして多くの解剖学書が作られた。西洋の解剖学書は当時モノクロ一色のものが多かったが、日本の解剖学書は早くからカラーの図版が付いていた。最近私が入手した明治37年初版の石川喜直著「人體解剖學」も、図版が多色刷りになっている。これは浮世絵・錦絵で培われた多色刷りの技術を早々に応用したためである。日本人のカラー化好きは、写真が発明されて間もなく、モノクロ写真しかできない頃に、いわゆる手で一つ一つ色を付けた「手彩色(てさいしょく)」絵葉書を商業化していたことにも表われている(写真の登場で仕事の減った浮世絵師達もそれを彩色していた)。従来の紙媒体に取って代わって書籍のデジタル化が進み、電子ペーパーディスプレイや三次元ディスプレイ、また新たなが技術が開発されていけば、解剖学書にも新たな展開がひらかれるに違いない。
 本シリーズも『骨単』、『肉単』、『脳単』に続いて、ついに4作目となった。沢山の激励の言葉やリクエストを頂き、読者諸氏には厚く御礼申し上げる次第である。貴重なご意見をなるべく反映させるよう努めたことに加え、書き加えたい話が多かったため、シリーズも回が増すたびに文字の級数が下がり、図が小さくなり、紙面を文字で埋め尽くしてしまっている気がするが、ご了承願いたい。また誤植等に関するご指摘を下さった方々には、この場をお借りして厚く感謝申し上げたい。『臓単』に関しても、お気付きの点があればご指摘・ご教示頂ければ嬉しい限りである。
 制作にあたり、東京慈恵会医科大学の河合良訓教授に、このシリーズ4作を通して大変貴重なご指導・助言を賜り、感謝の念に堪えない。(株)エヌ・ティー・エスの吉田隆社長、臼井唯伸氏には、このシリーズに深いご理解を頂き、ついに第4弾発行にまで至ることができた。また、同社営業部の橋本勇・石井沙知両氏には、この本シリーズを全国に精力的に販売促進して頂き、本書の編集を担当して頂いた同社の齋藤道代氏には大変お世話になった。
 章扉の美しい背景写真は、日本スリービー・サイエンティフィック株式会社(http://www.3bs.jp)より人体組織標本を提供して頂いた。色々と試行錯誤して顕微鏡写真を撮ってみたが、数多く撮影したうちのほんの一部しか掲載することができないのが残念なくらいである。また、「肉の田じま」の田島雅之氏には、付録の「畜産副生物の名称と由来」で掲載した写真撮影のため、種々の畜産副生物の入手に関してご協力頂いた。撮影に関しては、カメラマンの高澤和仁氏に担当して頂いた。印刷に関して秀研社印刷?の鈴木克丞氏には、このシリーズに関して数々の便宜を図って頂いた。
医学分野に関わる校正は比嘉信介氏、藤原知子氏に、また医学英語の校正に関してはメディカル・トランスレーターの河野倫也氏に、ラテン語等の校正や綴りに関する調査に関しては松元千晶氏にご協力頂いた。解説部分のイラスト制作に関しては東島香織氏、大塚航氏にこの度もご協力頂いた。また、今回、アムス柔道整復師養成学院 副学院長の高橋研一氏にも校正の御協力を頂いた。この場をお借りして、関係者各位に心から感謝の意を表したい。
2005年11月 原島 広至
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