イルカの解剖学 〜身体構造と機能の理解〜
翻訳者あとがき
動物の体の構造を理解する最初の手段は解剖である。いまや,CT スキャンをはじめとする新手法が開発され,必ずしも実際に解剖しなくてもある程度の情報を得ることができるようになっている。しかしながら,そこには未だ限界があり,いわゆる肉眼解剖学と新しい画像技術は,対象に対する理解を深めるために補い合っていかなければならない。

我々は,人体解剖学に基礎をおき,そこで得られてきた理解を哺乳類一般についても同じ水準で深めることにより「比較解剖学」を推進していきたいと考えている。いうまでもなく,人体解剖学の世界では,あまりに著名なVesalius のいわゆる「Fabrica1」があり,解剖して見えるものをあるがままに記載することが継承されてきた。メスとピンセットによる解剖と,その結果を目で見て理解するという,あまりにも前時代的な手法だが,残念ながら現時点では大原則はこの手法によらざるを得ない。さらにいえば,厳密な考察を進めていくには,人体についてすら解剖学的所見とその理解はじゅうぶんに得られているとはいえない。

ここで,イルカをふくむ鯨類の解剖学を見渡すと,少なくとも近代以降Tyson2 はじめ数多くの業績があり,例えばSlijper3 など今日的にも重要なものがめじろおしであることは本書にも紹介されており,ご存知の読者も少なくないと思うが,鯨類の解剖学に関する単行書には,めぼしいものが見当たらず,国内での出版物は粕谷俊雄先生が訳されたR.H. バーンによる鯨解剖の手引き,鯨研叢書,5,1963 が唯一ともいえる現状である。このことは海外でも同様で,本書の原著“Anatomy of Dolphins”は待望久しい解剖書といえる。

読者は「待望久しい」本書にふれてどのような感慨を抱かれるだろうか。上に触れた「人体解剖学に匹敵する水準」で,比較解剖学的見地からイルカを考えるには,まだまだ乗り越えていかなければならない障碍が多い。材料入手の困難さ,材料の大きさに起因する取扱の困難さなど,鯨類解剖をきちんと進めていくことは様々な困難を伴う。しかし,この興味深い動物たちを,哺乳類の,あるいは脊椎動物の多様性の中に正しく位置づけるにはまずは解剖学的理解を正しく得なければならない。

本書をもってイルカの解剖学研究は緒に就いたといえるかもしれない。本書に記された内容を踏まえて,イルカの解剖学に対する理解を深めるためさらに解剖学的研究を進めていかなければならないことを痛感する。
2020年8月
訳者一同
 
イルカの解剖学 〜身体構造と機能の理解〜 Copyright (C) 2020 NTS Inc. All right reserved.