序 文

今、高分子材料の設計方法に「超分子」という新しい流れが生まれようとしている。これまでは分子鎖の1次構造設計を通じ高分子の特性を設計する分子化学的手法が用いられてきた。一方で近年、分子間の弱い結合力を利用し、高分子高次構造の動的な制御により高分子の特性を設計する、いわゆる「超分子」の考え方を用いた高分子設計が注目されている。例えば、8の字形のモノマーを架橋点として導入し、機械物性を大きく向上させたゲル(第2講 伊藤耕三博士)や、架橋点の可逆性を利用した、リサイクル性を有するゴム(第4講 知野圭介博士)等が報告されている。本講演録では、このような新技術の芽、新産業の芽としての「超分子」の可能性について、応用例を中心に紹介していただいた。
第1講は、超分子に関する総論であり、この分野の先駆的存在である、国武豊喜博士((独)理化学研究所)に、超分子の成り立ちと高分子とのかかわり合いについて概説していただいた。超分子化学とは、「複数の分子が弱い非共有結合性の分子間力によって会合し、高秩序の分子集合体を形成することによって示される新しい機能を対象とする学問」である。その源流はホスト−ゲスト化学などの分子認識化学であり、1978年に自己集合体なども包括的に含んだ形でLehnにより提唱された。この超分子が集合体レベルになると、高分子とのかかわり合いが極めて大きくなる。例えば、両親媒性分子は高次の自己組織化した集合体を形成する可能性を持っており、ディスク状ミセルや二分子膜のシートなどの超分子構造を形成する。ナノテクノロジーや分子デバイスの分野において、「超分子」と「高分子」は精密機能(構造)材料を設計するための重要な要素となる。例えば、高分子材料を超分子によりナノレベルまで精密化することにより、厚み30nm、大きさがセンチメーターの自立膜を作製することも可能となる。このような、分子的な精密さとマクロな材料特性を組み合わせた研究は始まったばかりである。
第2講では、超分子構造の一種であるポリロタキサンを応用した、架橋点が自由に動く高分子材料(環動高分子材料)について、その材料開発および事業展開について、伊藤耕三博士(東京大学 大学院新領域創成科学研究科)に紹介していただいた。ポリエチレングリコールとシクロデキストリンからなる包接錯体(ポリロタキサン)のシクロデキストリン部分を架橋することで得られる環動高分子材料は、架橋点が移動することで高分子材料中の構造および応力の不均一性を分散することが可能で、従来の架橋点が固定された高分子材料とは異なる力学特性と構造を示す。この特徴はバイオマテリアルへの応用という点で高い優位性を示しており、ソフトコンタクトレンズ、人工血管、化粧品、などへの応用が進められている。この技術については、ベンチャー「アドバンスト・ソフトマテリアルズ株式会社」を設立し、実用化を促進している。今後、環動高分子材料の応用展開が進む中で、基礎的にも高分子材料におけるこの新規分野を更に発展させていくことができるであろう。
第3講では、化粧品の機能において分子集合体形成がどのように用いられているかについて、株式会社資生堂の岡本亨先生に紹介していただいた。化粧品の代表的な機能として保湿性がある。肌をみずみずしく保つためには、うるおいのもととなる水分とその蒸発を防ぐ油分を組み合わせて製剤化する必要があり、エマルションやαゲル、液晶などの分子集合体が多く利用されている。化粧品の場合大変なのは、これに加えて肌なじみや使用感触、透明感などの外観も併せて要求されることである。このような多様なニーズに応えられるのが様々な分子集合形態を制御しうる超分子技術である。本講では、エマルションの超微細化技術を分子科学的観点からの考察を交えて解説していただいた。微細エマルションによって化粧水のように低粘度でありながら、クリームのようなうるおい効果のある化粧品が開発されたように、分子集合体の科学は、多様な機能を求められる化粧品開発にとってますます重要なものとなるだろう。
第4講では、超分子的水素結合ネットワークを利用したリサイクル可能なゴムについて、横浜ゴム株式会社の知野圭介博士に紹介していただいた。一般に、ゴムは化学架橋して作られているために、加熱しても流動せず、再成形によるリサイクルは困難とされていた。知野博士らは温度変化に対して結合と解離が可逆的に生じる水素結合部位をゴム中に導入することで、高温で流動して、低温ではエラストマーとしての性質を有する、リサイクル可能なゴム“Thermoreversible Hydrogen-bond Crosslinkingラバー(THCラバー)”を開発することに成功した。THCラバーではナノメートルサイズの微細な水素結合部位を架橋点としたネットワーク構造が形成されているために、十分な強度と柔軟性が発現する。様々な配合により多種多様な性質のゴム材料が得られることで、将来はTHCラバーの技術が発展して、タイヤからタイヤへの水平リサイクルが可能になることを期待したい。
最後の第5講では、メソゲン自己配列を利用した高熱伝導エポキシ樹脂について、(株)日立製作所の竹澤由高博士に紹介していただいた。電子回路中から発生した熱を効率よく放熱させるために、電気絶縁部材として使われている熱硬化性樹脂に高熱伝導の無機フィラーが添加されているが、界面での熱抵抗のために無機フィラーの添加量に見合った高い熱伝導を得ることができなかった。竹澤博士らはビフェニル基のような自己配列しやすいメソゲン骨格を分子内に有する熱硬化性エポキシ樹脂を設計して、その分子間結合力の制御により明確な界面を持たない結晶ドメイン構造を得て、界面におけるフォノン散乱を抑制することで高熱伝導化させることに成功した。このドメイン構造の制御により、汎用エポキシ樹脂の5倍も高い熱伝導率が実現されている。得られた高熱伝導率エポキシ樹脂は高い高温弾性率などエレクトロニクス基板材料に必要な優れた物性も有するため、様々な用途に利用できると期待される。
本講演録は、「超分子」の考え方を材料の機能に反映させ、製品への応用展開を図った具体例を収録したものである。「超分子」は、現在では大学での研究が中心ではあるが、高分子などの材料への応用は既に始まっており、今後、材料設計には欠かせない考え方になるであろう。実際、この超分子の考え方は、様々な産業分野に影響を与えている。今回は紹介していないが、化学工業においては、まず触媒分野がある。超分子の考え方により、高度に選択的で活性の高い触媒が生み出されつつあり、不必要な物質を生み出さないことから、環境対策として注目されている。今回の講演録にあるように、高分子化学においては、これまでと異なる(これまで困難であった)材料の創出が期待できる。これにより、情報電子分野などにおいて、新しいデバイスの開発や、ナノレベルまで制御されたデバイスへのブレークスルーをもたらす。また、その動的構造制御性から、環境応答性材料の創出なども期待できる。生命科学の分野では、各種バイオセンサーや再生医療ポリマーといった製品を生み出す設計思想として期待されている。このように、「超分子」が、化学、情報電子・電気、医療に限らず、材料を用いる産業分野において、これからの材料設計戦略の中心として発展することを期待する次第である。
<大西 仁志/斎藤 拓/尾池 秀章>
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