出版にあたって

 近年のマイクロ、ナノスケールの学術進展は著しく、最近ではマイクロ、ナノスケールの現象を活用した応用技術も一般社会の目に留まるようになってきました。とくに半導体など電子機器産業あるいはバイオテクノロジー産業における技術革新は目覚ましく、マイクロ・ナノテクノロジーは大きな産業の一つとなりつつありますが、実はマイクロ・ナノテクノロジーにおいて重要なのが、マイクロあるいはナノスケールの熱流体現象です。一般に、マイクロ・ナノテクノロジーというのは、微小な構造体を作製あるいは制御する技術であるととらえられがちですが、その製作過程や制御において熱あるいは流体的問題はその技術の精度を左右する重要な問題となります。例えば、物質表面にレーザー加工を施すような場合にはレーザーで熱せられた表面の熱をいかに逃すかといったことが、加工精度を左右する大きな要因となります。マイクロ熱機関などマイクロスケールでエネルギー変換を行うためのパワーMEMS、あるいはバイオ技術におけるタンパク質の分離など非常に微細な流路を用いたμTASなどにおいても、物質拡散や電気泳動など、マイクロあるいはナノスケールにおいて顕在化する流体現象が重要となります。このようにマイクロ・ナノ熱流体現象をより理解し、技術の進歩に役立てようという気運が国内外を問わず高まっております。
 学術的な観点からマイクロ・ナノ熱流体現象をとらえると、空間あるいは時間スケールを小さくした際に、どのような熱流体としての特徴が顕在化するのかということに尽きます。具体的には、連続体力学がどの程度の時空間スケールにまで適用できるのか、あるいはどの程度のスケールから確率統計的な扱いや分子動力学的な扱いを適用すべきなのかという問題であり、連続体が仮定できる場合においても固体表面や液体表面で作用する表面張力や界面動電現象がどのような境界条件として取り込まれるのかといった問題です。一方で、加工技術や材料技術の進展に伴って、熱流体現象がかかわるシステムは従来のミリメートル以上の空間スケールからマイクロ、ナノスケール、さらには分子スケールにまで拡大しています。そのため、熱流体機器の設計の観点からも、マイクロ、ナノスケールの熱流体現象把握の重要性はますます高まっています。
 これらの要請に応えるべく、マイクロ、ナノスケールの熱流体現象の研究が盛んに行われていることは周知のとおりです。しかしながら、分子スケールからマイクロスケールまでを包括した学術体系はいまだ構築されていません。また、マイクロ、ナノスケールの熱流体現象の特性を積極的に活用した事例あるいはシステムにおいて、マイクロ、ナノスケールの熱流体現象の把握が必要不可欠な事例などは意外に知られておらず、このような事例を広く一般に共有していくことも必要と思われます。
 本ハンドブックは以上のような趣旨で出版することになりました。ただし、マイクロ・ナノ熱流体と一言で申しましても、時空間スケールの違いはもちろんのこと、対象とする物質の相によっても大きな違いがあり、現段階で完全な学術体系を構築することがいかに困難であるかは重々承知しております。また、各分野の技術的な進展が激しい時代でもあり、マイクロ熱流体の研究分野への要請が今後大きく変化していくであろうことも想像しております。しかし、このようにマイクロ熱流体分野が黎明期にある現在だからこそ、本ハンドブックの出版に意義があると判断いたしました。そこで、本ハンドブックでは、マイクロ・ナノ流体現象の特徴や本質をできるだけ読者の方にご理解いただけるように基礎的な事項について基礎編で解説するとともに、マイクロ・ナノ熱流体現象を活用して実用化された技術あるいは実用化の可能性のある技術を活用編で紹介しております。活用編は当該分野の第一線でご活躍の方々に執筆していただいたことから、充実した内容となっていると自負しております。本ハンドブックがマイクロ・ナノ熱流体現象に携わる研究者、とくに技術者の方々のお役に立てることを願っております。
 本ハンドブックの出版にあたり、お忙しいなか原稿を執筆くださった多数の先生方、原稿を通読し校閲と適切な指摘をしてくださった芝浦工業大学の小野直樹先生に深くお礼申し上げます。また、本書の出版に多大な労をとってくださった(株)エヌ・ティー・エスの関係者に感謝いたします。最後に、本編集委員会は(独)産業技術総合研究所マイクロ熱流体システム活用エネルギー有効利用連携研究体の連携研究員を主体に構成いたしましたが、連携体の長でいらっしゃる東京大学名誉教授の庄司正弘先生には、企画段階から編集段階にいたるまで終始貴重なご助言とご指導をいただきました。ここに深く感謝申し上げます。
2006年1月 マイクロ・ナノ熱流体ハンドブック編集委員会 代表者 丸山茂夫 編集委員一同
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