まえがき

 食は命の根元である。われわれ消費者には,純正で安全な食品を,できるだけ安価に求める権利がある。筆者は過去47年間食品にかかわって働いてきたが,この本を書こうと思い至った理由には,日本の食品にまつわる不透明性と,品質と価格の矛盾がある。現在の日本は,カロリー自給率が40%程度であり,米以外の主要食程の過半数を輸入している。しかも自由化後は,世界中から安価で優良な食程が大量に輸入されており,通関統計にみられる輸入農産物価格の安さに驚かされる。にもかかわらず筆者の実感では,日本の基礎的な食品の価格は,先進国のおよそ2倍,中欧諸国の5〜10倍,中国の10倍以上である。
 日本の国民1人当たりGNPは,サミット8カ国中で最高であり,米国の約1.5倍である。しかも国民間の所得格差は世界最低である。今や日本人は,世界最高の金持ちであるにもかかわらず,その実感がないのはなぜであろうか。衣食住のうち,食と住が高すぎるためである。政治の手厚い保護を受け,諸規制の中に安住してきた産業の代表は,農林水産業とその団体および建設業である。トヨタ,ソニー,その他家電メーカーに代表される先進的産業は,世界一安い自動車と電化製品を国民に供給している。これらの優れた産業が国富を築き,日本人を金持ちにしたが,その消費生活を貧弱にしてきたのが,農林水産業,建設業および土地所有者であった。
 日本のコシヒカリの価格は,カリフォルニア産コシヒカリの10倍である。日本の食品価格を異常に高めている原因は,食糧,食品の生産と流通機構の後進性にある。日本農家の規模はヨーロッパの数十分の一ときわめて零細なうえ,多くの食品産業は未成熟であり,合理性が追求されていない。
 一方,利益の大きい商品ほど不正の誘惑が強く,生産と流通の過程で多くの背徳行為が起こる。現在の日本で最大の食品不正は,銘柄米と有機農産物であろう。1999年までは黒豚製品販売量の異常な増加があった。日本人には「国産」を高品質と信じる傾向が強い。豆腐の業界規約で「国産大豆使用」とは,近く100%国産原料を意味することになるが,従来は50%以上が国産原料の意味であった。どのようにして,この規約は担保されたのであろうか。このようにあいまいな原則で,消費者の誤解を期待するかにみえる食品の不当表示は,許されるべきでない。
 食品の真正を問うことは,「この食品は何か」「その産地はどこか」「それはどのように加工されたか」「その内容表示は適正か」を問うことである。食品のうそと水増しを専門用語で「偽和」という。この種の詐欺の防止対策を,欧米先進国は百年以上をかけて行ってきたが,それでも食品の不正は後を絶たない。過去20年間をとっても,欧米諸国の偽和食品は,調査試料の数%から数十%に達している。行政によるチェックがほとんど行われない日本では,実態は不明であるが,食品の不正表示はおそらく先進国中最大であろう。消費者はただでさえ高価な食品に,不正によるプレミアムまで支払っている可能性がある。原料販売業者には輸入原料を国産と偽るものがある。しかも輸入大国の日本は,輸出国の悪徳業者の標的にされている可能性がある。
 昔から商行為には,誇張とごまかしがつきものであった。商人に限らず役人や政治家も,都合の悪い情報はできるだけ知らせずに,消費者や納税者を納得させようとしてきた。近年はPL法が成立するなど,企業に比べてはるかに弱者である消費者の権利が,ようやく保渡されるようになってきた。しかしいまだに,政治や行政は現状を追認し,財力や集票力のある特定の産業や団体の利益を優先している。世の中の正義と公正とは何であるか。それを明らかにして実現するのは,政治と行政の重人な任務の一つである。本来の民主主義が定着していない日本では,消責者権利の拡大は,心ある消費者自身の運動で獲得していかなければならない。
 日本では食品に対する消費者運動は,残留農薬,食品添加物の忌避時代を経て,現在は遺伝子組換え食品の拒否に移ってきている。安全は食品の基本であるから,この種の問題に関心が高まるのは当然であろう。しかし,食品の安全基準がグローバル化している現在,時に例外はあっても,日本には健康被害を起こすような,不安仝な食品はきわめて少ないといえよう。むしろ,食品の経済価値を低める不正行為の「偽和」にこそ留意すべきである。
 この本は「食品の真正とはどういうことか」「どのようにして偽和を発見し,それを防ぐか」について,食品技術者に知っていただくために書いたつもりである。技術者以外の食品産業人,さらに一般消費者にも,この種の問題に関心を持っていただければ,筆者の望外の幸せである。分析技術者以外の読者には,第3章の分析法はなじみにくいであろう。とばして読んでいただきたい。
 最後にこのような試みが,日本の食品について,品質を向上させ,無駄を省いてグローバルな価格に近づけ,楽しく健康的な食生活のために役立つことを願う。
 本書の出版にあたって,株式会社エヌ・ティー・エスの吉田隆社長,松風まさみ氏,柴田敏子氏には,ひとかたならぬお世話をいただいた。ここに,これらの方々の恩恵に深い感謝を捧げる。
 また本書では,序論末尾に列記した書物,その他多くの論文を参考にさせていただき,引用させていただいた。とくにChapman&Hall社からは,次に列記した多くの図を使わせていただいた。これらの著者と著作権者に,深く感謝申し上げる。

(1)P.R.Ashurst and M.J.Dennis eds., Food Authentication,Chapman&Hall,London(1996).(参考書3)から,本書第2章の図3−1,3−2,3−3,3−4,5−1,6−2,6−3,6−4,6−5,7−2,7−3,7−4,7−5,7−6,8−1を引用した。
(2)P.R.Ashurst and M.J.Dennis eds., Analytical Methods of Food Authentication,Chapman&Hall,London(1998).(参考書4)から,本書第3章の図3−1,3−2,3−3,3−4,4−1,7−2,8−2,8−3,9−1,9−2,10−1を引用した。
2000年9月7日  藤田  哲
書評

 化学の進歩に錬金術が大きく貢献したことば,誰も否定できない。これと同じように,食品化学の分野でも低廉な材料を用いてより高級な食品に近いものを作る努力が続けられてきた。
 だからと言って,消費者をだます行為は許さるべきでないことも論をまたない。食品製造業者は正しい情報を与え,消費者の判断に任せるべきである。
 にもかかわらず現実には偽和物が後を断たない。私自身食品産業に永年従事し,その間原料中の偽和物の分析に苦心してきた経験がある。
 食品製造業者としては,食品の安全性保証が第一であるが,次にいかに経済性に優れた商品を提供するかが重要である。食品の第二の機能としておいしさを要求され,このために低廉な材料の味覚改良材として化学調味料をはじめ多くの調味料が作られてきた。
 このことと著者が述べている,日本人の偽和物に対する関心の薄さは,食生活で食事をゆっくり楽しむ習慣のなさとともに,原因になっているかもしれない。このため日本では一応偽和物の判定法は各分野別にはあっても,法律的にこれらの取締りの整備が遅れている。またこの問題を総括的に取り上げた成書もなかった。その意味で本書は分析法を含めよくまとめられている。例としては,上の事情より日本では少いので,諸外国の文献をよく調べ,実態を説明している。
 第1章 食品の真正を確認することでは食品偽和の歴史と真正維持などについて述べている。食品の真正については,国により考え方が異なる。EUでは統一規格を作るため,ビール,チョコレートなどで各国の調整にかなり手間どった。これらは文化的,経済的背景によるもので,後で指摘している清酒へのアルコール添加が日本で戦争中の臨時措置として行われた名残が現在も続いている。これらはわかりやすい消費者表示と消費者教育が必要であろう。間違っても食品製造業者に騙すと誤解される姿勢があってはならない。
 第2章では,各種食品の偽和物と真正の確認が取り上げられている。これはいかに偽和が行われたかを,果汁,蜂蜜,ワイン,肉製品などについて詳しく述べている。近年発生した問題として,有機農産物,遺伝子組換え植物よりの食品にも言及している。この二つは大局的に見て,もっと慎重に論議すべき問題と思うが科学的論拠を越えて,消費者の関心が高いのは事実である。このためには堂々と正確な情報を提供する必要があろう。しかし有機農産物については,現在では分析によって判別できない。
 第3章 食品真正評価の方法では近年の分析技術の進歩は質量分析法,核磁気共鳴法,赤外線分析法,高速液体クロマトグラフィー,酵素免疫法,DNA分析などによる偽和物判定法の概要が述べられている。分析法の専門書でないので詳細がないのは当然である。
 分析法の進歩は偽和物の検出にもおおいに寄与しているが,高価な機械と費用が必要となる。それでもこれをかいくぐって偽和物を作ろうとする企みは後を断たない。
 第4章 食品の真正を考えるでは,日本のJAS規格が国際規格に比し,不備である点を指摘している。欧米諸国では摘発される偽和食品が数%以上もあるのに,日本では関心が偏っており,行政も生産者保護の方向に目が向いている。また,もどき食品に規格があるのはおかしいと訴えているが,食文化の違いであろう。
 一部ではテレビ番組に見られるように,グルメを指向する人もいるが,大多数はホームミールレプレイスメントに向かい,食事の外部化がどんどん進行している。これは食べることを大事にしていない証拠である。朝飯は言うに及ばず,夕食も早食の国民性では偽和物に関心が低いのもやむをえまい。
 食を大事に考える習慣を身に着けることは21世紀の日本人にとって必要不可欠であることは論を待たない。このためには偏りのない正しい情報が提供されることが肝要である。
 著者は1953年大学卒業以来,食品製造会社で研究に従事され,現在も技術士として活躍している。本書は食品技術の大ベテランの目を通し書いた力作である。食品に携わる技術者以外,一般消費者にも是非読んでいただきたく推薦する。
(赤堀 浩)
(日本農芸化学会誌Vol.75,No.5 2001年掲載)
 略歴によれば著者は食品企業で永年技術開発に携わり,定年後技術士事務所を開き食品に強い関心を持ち続け,とらわれない立場で業界・行政・大学等へ食品の「真正」実現へ向けての率直な見解を述べている。食品の「真正」については序論,第1,4章で述べている。忙しい方にはこの部分だけ読んでもおもしろく,著者の執筆の真意が伝わってくる。ただし,日本で食品ごとに真正を定義づけられるかわからない。
 日本では戦後の物不足で「もどき食品」を制度的にも許してしまい,生産者の都合による規格がいつのまにか本物,すなわち真正になってしまっているという。それが結果的にはその食品の品質を下げ需要を減退しているとみている。折しもJAS法が改正され,あらゆる食品が品質表示の対象になり,消費者保護の観点からも良い環境が整備されつつある。しかし,日本は現在なお表示された事項が正しいかをチェックする体制が余りにも弱体であり,表示されたことが真実であるとの保証はないという。大学や研究機関の研究発表をみても偽物を見つけ出す研究が希少であり,関心の薄さも西欧諸国と比べると異常に見える、。日本は海外から膨大な量の食糧を輸入しているが,安い物を混ぜて(偽和,adulteration)増量して利得をあげて秘かに笑う者がどこかにおり国民的被害になっているはずという。たとえば,果汁飲料を水増しして,色素・糖や酸・フレーバー成分などを加えて味の薄さを補うことは今でも内外で行われており,消費者のみならず生産者も不当な損失を被っているという。商売では必ずインチキをする者がおり,インチキ技術も日々向上し,正義はインチキを上回る知識と技術の研鑚,さらに連携が必要と説く。
 イギリスから始まり食品の「偽和」発見に費やした努力を歴史的に述べている。偽札造りと警察との関係である。第2章では果汁・蜂蜜・ワイン・食肉製品・魚介類・穀物・植物油・コーヒー・乳製品・遺伝子組換え食品・有機農産物その他についてうそをいかに立証したかを手順を踏んで説明している。ここでは化学的手法のみならず生物・物理・地学などを総動員してうそと対決し,法廷でうそを立証した経過が語られてスリルを感じる。第3章では機器分析を中心にうそと対決して勝った技術の紹介をしている。分析という学問が発揮する社会的役割を見直した。食品の勉強を志す大学院の学生に読ませたいし,教員にもテーマの選択で役立つ。分析は単なる繰り返し作業ではなく,法廷で悪事と対決する際に不正をあばく証拠にもなる。探偵ゴッコは学生の意識を高めるに有効である。
本間清一 (お茶の水女子大学)
(日本栄養・食糧学会誌 VOL54 2001年5月掲載)
 私たちは生きていくために毎日食事をとらねばならない。ところが、食品が安全なものではなかったり、ラベルの内容と実物が異なっていたりしたら途端に私たちの健康は害されてしまう。食品が真正(信頼できる)か偽和(食品に、品質の劣る同種の食品または他の安価な成分、もしくはその両方を混ぜて、本物や高級品に見せかけること)かは重大な問題である。この本は品質と価格がごまかされていることへの関心を喚起するために書かれた。
 食品技術者向けに書かれている本であるため、各種食品の偽和と真正の確認や食品真正評価の方法の章は専門性が高く素人にはやや難しい。しかし、そのためにいかに巧妙に偽和が行われているかがわかる。さらに、食品の経済価値を低める企業と行政の不正行為を糾弾するだけでなく、この状況を許している日本の消費者自身にも改善への努力を呼びかけている。
(東京大学新聞 2000年10月24日掲載)
 著者は,『この本は「食品の真正とはどういうことか」「どのようにして偽和を発見し,それを防ぐか」について,食品技術者に知っていただくために書いたつもりである。』と記している。本書は,その日的のために,不正とそれを発見するための分析技術について、多数の例が示されている。したがって食品関係業界人にとっては常識として身につけておくべき内容が含まれている。
 しかし,「食品不正から見た日本人の国民性」という文化的・社会的な視点から本書を読んでも興味深い。たとえば、不正を「偽和」、混ぜ物を「調整」というあいまいな用語に置き換え、物事の本質をわかりにくくして、当事者だけで対処してきた歴史が,現在の日本にどのように影響しているのか。なぜ日本では食品が高価なのか。なぜ日本が不正のターゲットになりやすいのか。このようなことを考えさせてくれるきっかけを,本書は与えてくれるだろう。著者が,本書を本当に読んでもらいたい対象は、一般消費者である。
(YM)
(日本食品科学工学会誌第47巻第12号 2000年12月掲載)
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